シュメール・ユダヤ・日本を結ぶ、驚きの繋がりとは?【古代シュメール国家の行方①】

みなさんはシュメールをご存知でしょうか。

未だに詳しいことは解明されておらず、謎多き文明として有名ですよね。特に、大きな目をした人間の像が有名です。

あまりにも謎が多い故に、大きい目をしたシュメール人は宇宙人なのだと実しやかに語られるほどです。

しかし、これらは宇宙人の仕業でも何でもありませんでした。

シュメールと、ユダヤと、日本…。

そこには、実に古代ロマン溢れる多くの謎が秘められていますが、それらを結ぶ意外な事実や歴史が隠されていたのです。

そして裏では、暗躍するユダヤ人の影と悪魔崇拝が見え隠れ…。

歴史の教科書を読むだけでは絶対に知ることができません。

というわけで今回はそれらを中心に、シュメール国家の行方についてシリーズもので記事にまとめてみました。

ちなみに「歴史的事実がどうたら〜」なんていう堅苦しい反論は受け付けておりません。

もちろん、歴史的事実や信憑性が高そうだという情報をもとに精査して書いております。

しかし、教科書に書いてることがデタラメばかりなのはもう認めざるを得ないのが現状なわけで、そのような点を考慮したうえで読んで頂ければ幸いです。

それではどうぞ!

シュメール人とは?起源は?

メソポタミア文明の基礎を作ったのが、シュメール人。

時代を遡ること5000年、ティグリス・ユーフラテス両河流域に、今では「メソポタミア文明」と呼ばれている都市文明がありました。

その文明の土台となったのがシュメール人でした。

しかし、シュメール人の存在自体が明らかになったのはそれからずっと後になってからのこと。

その存在が知られる1850年代まで、古代ギリシアや古代ローマの文学でも、一言も触れられていません。

超古代文明のアトランティスについては、古代ギリシアの哲学者であるプラトンが記述していたにも関わらず、シュメール人については一切知られていないのでした。

そんな未だ底知れないシュメール文明ですが、紀元前4000年頃にメソポタミア南部に移動してきた民族によって成立したと考えられています。

しかし、如何様にしてその高度な文明を発展させることができたのか、またシュメール人がどこから湧いてきたのか、民族系統は何か、それらは未だに明らかにはなっていません。

シュメール人の見た目と、文化。

しかし、手がかりは残されています。

シュメール人は自らを「ウサンギガ」、すなわち「黒頭の民」と呼んでいたそうです。

しかし、イスラエル人のようなセム系の民族も黒い頭ですが、それらセム系の民族とは異なり、アッカド王朝以前の遺跡に見られるシュメール人の容貌は〈剃髪した堀の浅い髭のない傾向〉が多く見られたようです。

ということは、私たちアジア人種と同じような姿形だったのでしょうか。

それも剃髪しているとのことなので、坊主ですね。

坊主であるのと関係しているかどうかはさて置き、シュメール人はよく儀式を行なっていました。

そのなかでも重要な儀式とされていたのが「聖婚儀礼」です。その年の豊穣を願って、宇宙のはじまりの日とされた元日(今日でいう春分)に行われるもので、神に扮した王と女神官が交わるのです。

「大杯」の図像をゆっくり眺めてきたが、それでは図像全体でなにを表しているのだろうか。[中略]

下段と中段に表された場面を踏まえると、上段は都市国家の王が豊穣を祈願あるいは感謝する場面であることは間違いないが、さらに踏み込んで王と女神官による「聖婚儀礼」が表されているとも解釈され、「大杯」の図像はその最古の例になると考えられる。

「聖婚儀礼」は男女の交合により、混沌から秩序を回復し、不毛を豊穣に変えることなどを意味する。シュメルだけの特異な儀礼ではなく、世界中で広く見られる。シュメルでは女神官と王が「聖婚儀礼」をおこない、豊穣がもたらされると考えられていた。

「聖婚儀礼」は元旦におこなわれていた。元日の持つ意味は現代日本では薄れてしまい、単に一年の最初の休日となってしまっているが、シュメルのみならず古代社会では元日は宇宙のはじまりに重ね合わされる日、つまり新しい生の循環が始まる日であった。

出典:シュメル/p75-76 https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/mesopotamia-seikon-girei-ou

これは…、日本の「大嘗祭」とも似ています。

大嘗祭もまた、五穀豊穣などを祈る儀式であり、そのうえ女官と交わっているだろう儀式だからです。

大嘗祭は、代替わりした天皇が初めて行う「一世一度」の新嘗祭であり、皇位継承にまつわる主要儀式だ。(中略) 大嘗祭では、現代を生きる皇族が違和感を抱くのが当然と思えるような、霊的、性的な意味合いをもつ“秘密の儀式=秘儀”の存在が取りざたされてきた。(中略) 天皇は11月22日夕方から翌23日未明まで、ふたつの殿の内陣に合計8時間にわたって引きこもる。(中略)… 内陣の中心・大部分を占めるのは八重畳(やえだたみ)の寝座、つまりベットなのだ。
(中略)
折口によれば、〈天子様の御身体は、魂の容れ物〉であり、天皇はその魂(「天皇霊」)を受け入れることで完全な天皇として「復活」する。(中略)… 折口の説はその後、発展されるかたちで、さまざまな論考を生み出した。その一つが「聖婚儀礼」だ。あけすけにいえば、大嘗祭の夜、天皇による性行為が行われるという説である。(中略)… 御座と神座がある内陣(「室」という)には、天皇以外に「采女(うねめ)」という身の回りの世話をする女官の代表ひとりしか入れない。日本史学者の岡田精司氏らは、この采女を性行為の相手と見た。
(中略)
〈天子様の場合には此湯の中の行事の、一切の御用をつとめるのが、処女である。天の羽衣をおぬがせ申し上げるのが、処女の為事なのである。そして羽衣をおとりのけさると、ほんとうの霊力を具へた、尊いお方となる。解放されて、初めて、神格が生じるのである。〉(「大嘗祭の本義」)
(中略)
ここで指摘しておかなければならないのは、かくも異様な儀式の存在を述べた折口の説を当時、当局が容認していたという事実だ。https://lite-ra.com/2018/12/post-4406.html

「日本シュメール起源説」が唱えられるのも無理はありませんね。

しかし、これらの事実を踏まえてもなお、シュメール人がわたしたち日本人のような東アジア系とは断定されず、未だ謎のままなのは、西アジア系のセム系の像も多く見られるためです。

とはいえ、【シュメール人には西アジア系・東アジア系がいた】のは確かなことでしょう。

共通点はそれだけではありません。

彼らシュメール人は、日本語と同じような「仮名交じり文」を使っていました。

しかもシュメール人の発明した「楔形文字」は、漢字の形成と同じ過程を経ており、日本語と同じ膠着語であるそうです。

【1】シュメールの楔形文字は、漢字の形成とほぼ同じ過程を経て成立した

【2】シュメール文字は現代日本語の漢字仮名まじりと同じ構造をもつ

【3】シュメール文字は子音のみならず母音をも記す(シュメール周辺のセム系言語の文字は、子音のみを表記する)

【4】シュメール語は膠着語である

https://trakl.exblog.jp/17689928/
日本人は漢字仮名まじり文章で生活しており、日本語の文法は膠着語(にかわで接着するの意で、テニヲハの接着語によって単語がぺったりとくっつくさまを示す)系統に属する。更に日本語は、母音が非常に強調される特色がある。

シュメール人による「楔形文字」が【漢字の形成と同じ過程を経て誕生した】ということは、漢字を生み出した中国大陸の「殷」という国もまたシュメール人との関連が考えられるわけですが、実はそのような説も既にあります。

シュメールの歴史

ここで、シュメールの辿った文明を見てみましょう。

以下はこちらのサイトからの転載です。(画像を付け足しました)

少し長いですが、悪しからず。

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BC4000

どうも、このころ大規模な洪水があったらしいです。メソポタミアは洪水が少なくないのですが(というか、そのおかげで栄養分の豊富な土が運ばれてきて農業が発達したんですけども)、このときの洪水は、えらく規模がでかくて、それまでの集落がほぼ壊滅したようです。
BC4000-3000

それまでの集落が大洪水で滅び去ったあと、新たにシュメール人が、メソポタミアの地に移り住む

シュメール人。じつは、彼らは謎の民族です。歴史ミステリ。

というのは、彼らには、これぞ「シュメール人」と言えるような、人種(血統)的特徴がないのです。では、なにを持って彼らを「シュメール人」と呼ぶか。それは言語です。彼らを正確に表現するなら「シュメール語を話す人たち」となります。文化的共通性を持った集団と言い換えてもいいでしょう。現代の「アメリカ人」に似ている。アメリカ人も、けっして人種(血統)的民族を差す言葉ではないわけです。

さて。このシュメール語ですが、じつは、系統が不明なのです。突如として現れた「言葉」なんですよね。

いったい、シュメール人は、いつどこでシュメール語を発明したのか。謎です。だから、「シュメール人=宇宙人」説なんて言い出す学者もいる。宇宙人に言葉を教わったのだ。いや、彼らこそが宇宙人そのものだと。あるいは、海底人だったという人もいる。たしかに、シュメールの粘土板に、鱗(うろこ)を着た人たちが海から来た。と書かれているものもあるようですが……

困ったモノです。それでも科学者かと、知性を疑いたくなりますね。そういう変な人はほっといて、シュメール人の謎に迫ってみましょう。

〔省略〕

もうひとつ。シュメール人が、なぜ神様を詳しく書き記したかも、重要なキーポイントだと思います。彼らは、それまで人々の伝承でしかなかった「神話」を体系だてていった。これは、多民族の文化的共通性を高めて、統一国家を作るためだったのではないでしょうか。過去、多くの権力者が、宗教を人民の統制に利用してきたことを考えれば、最古の文明であるシュメール人が、すでにその手法を用いていたと推察しても、間違いではないでしょう。なにせ彼らの政治を「神権政治」と呼ぶくらいですからね。
BC2600ごろ

話が前後しますが、このころから、シュメール人が、集落をまとめて、巨大な都市国家を作って行くのです。これには、セム系民族の遊牧民である、アッカド人の関与が大きかったと思われます。彼らには人種的特徴があります。混血はかなり進んでいたでしょうが、基本的に単一民族と思っていいでしょう。
彼らアッカド人は、シュメール人の町をときおり襲っては、家畜や穀物を奪っていく。これに困ったシュメール人は、町に城壁を作り出します。このエッセイで紹介しているギルガメシュは、ウルクに立派な城壁を作ったことで有名な王様です。このことが、シュメールの町を都市に発展させていった一番の原因だと思いますね。略奪者も、歴史に重要な役割を持っていたのです。また、彼らは略奪者としてだけでなく、徐々に、シュメールの都市に入り込み、そこで暮らすようにもなります。ここで、混血が進んだようですが、人種的特徴を失うことはなかったみたいですね

こうして、都市国家を発達させたシュメール人は、古くからある象形文字を改良して、くさび形文字を作ります。それまでの単純な「象形」でしかなかった文字から、「物の形」にとらわれない文字を作った意味は大きかったのではないでしょうか。乱暴な言い方をすると、象形文字は「絵」なんですね、あくまで。くさび形文字は、文字のための文字。人間の心理とか、もっと言うと哲学的なこととか、そういう複雑な内容を記することができるようになったのではないでしょうか。

ここで、いよいよ、粘土板の登場ですね。文明も文化も一気に花開く。

しかし、シュメール文化は高度に発達しましたが、各都市が、それぞれに小競り合いを続け、シュメール人による統一国家はけっきょくできませんでした。都市国家の集合体だったわけです。最後まで。ギルガメシュの治めたウルクも、非常に有力ではあったけれど、シュメールの統一国家などではなく、あくまでも一都市国家のひとつに過ぎないのです。
BC2800ごろ
このころ、また大洪水があったみたいです。
BC2400ごろ

アッカドのサルゴン王が、シュメールの各都市を制服。ついに統一国家樹立(アッカド王国)

ついに、シュメールの統一が成されたのは、なんと、略奪者だったアッカド人によってでした。しかし、外から攻め取ったというより、シュメール人の中で、大きくなっていったと言うべきでしょう。すでにアッカド人は、シュメール文化に溶け込んでいたのです。アッカドの文化が、シュメールの文化と、ほぼ同一なのは、このためですね。発見されているギルガメシュ叙事詩も、アッカド語(くさび形文字)で書かれたものがオリジナルに近いと信じられる理由でもあります。

ところで、アッカド王国の首都「アッカド」は湾岸都市だったという記録が残ってますが、じつはこの場所、まだ発見されてないんですよ。若き考古学者諸君。あなたがたの仕事は、まだ山のようにあります。アッカド見つけたら、一躍有名ですよ。出土品をねつ造しちゃいけませんが、がんばって発見してください。歴史マニアの一人として、吉報を待っています。

しかし、アッカド王国も長くは続きませんでした。高慢なシュメール人(彼ら、相当プライド高かったみたい)は、アッカド人に従わず、ずっと抵抗を続けたし、グティ人という、野蛮な遊牧民族がアッカド王国を襲って、なかなか安定しなかったみたい。こうして衰退の道をたどる。
BC2170
シュメール人が「ウル第三王朝」を起こし、アッカドから独立します。これも、そう長くは続かない。

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このようにして、シュメールは「アッカド人」による支配を受けましたが、独立し「ウル第三王朝」を立ち上げました。

しかし「ウル第三王朝」も、のちに滅ぼされてしまいます。

シュメールを滅ぼしたのは誰?

シュメール人は主に、アモリ人・エラム人によって滅ぼされました。

まず「アモリ人」ですが、シュメールのウル第三王朝からその名が記されるようになりました。

「アモリ人」の先祖を辿ると、アモリ人はハムの子であるカナンの子でありカナンの諸部族の一つとされています。カナンはノアの孫とされています。

そんな「アモリ人」は、シュメール人から「マルトゥ」と呼ばれ、その破壊的な行為から野蛮人とみなされていました。

彼らは、かねてからウル第三王朝へ侵攻を企ていました。

野蛮な行為もみられていたものの、最終的にはシュメールへ浸透するようになり、ついには王朝の役人に採用されるまでにもなったのです。
これは、「アッカド人」が徐々にシュメールに馴染んでいき、最終的には乗っ取るような形でシュメールを統一するようになったのと似ていますね。

そのようにしてシュメールは「アモリ人」が内部で力を持つようになりつつ、大きくなっていきました。

しかし、ここでシュメールに飢饉が訪れます。

ウル第三王朝時代にはシュメル地方では土壌の塩化が進み、大麦の収量倍率が激減していた。初期王朝時代末期(前24世紀中頃)にはラガシュ市において76.1倍であったものが、前21世紀のウル第三王朝の属州ギルス(以前のラガシュ市)では30倍に減少していた。この数字はシュメル地方のほかの地域でもそうちがわなかったと考えられる。

第五代イッビ・シン王(前2028-2004年頃)の治世になると、東方からはエラム人、西方からはマルトゥ人(アモリ人)と外敵の脅威が増し、しかも同王の治世6年にウル市で発生した飢饉は数年続いて、穀物価格が60倍にも高騰した。

出典:シュメル/p265-266

この飢饉によって、シュメールは弱体化していきました。

これによって、ウル第三王朝・第五代イッビシン王は「イシン市」に「アモリ人の将軍」を派遣したのですが、将軍は滅びゆくシュメールを見限り、自らイシン市で独立を果たしました。

そして将軍はウル第三王朝を奪還しましたが、最終的には将軍もろとも「エラム人」によって滅ぼされることになり、シュメールは滅びることとなりました。

この、ウル第三王朝を滅ぼした「エラム人」はもともとシュメール人に属する民族でしたが、そのあまりの極悪商人ぶりにシュメール人は怒り心頭し、ついには攻め入れられた過去を持つ人々でした。

ウル第三王朝はそのエラム人の復讐にあったと言えます。

ちなみに、「エラム」の上位都市である「スサ」ですが、日本のスサノオの語源だという説もあります。「スサ」の王=スサノオ、ということですね。メソポタミア神話に大きな影響を与えたとするシュメール神話ですが、日本神話との類似点が多いことでも有名です。

しかしシュメールが滅んだのち、アモリ人はメソポタミア各地で王朝を興すことになります。

ウル第3王朝滅亡後にメソポタミア各地に成立したイシンラルサバビロンマリ等の諸王朝はいずれもアムル系の人々によって成立した。ただし、アムル人が統一した政治集団として活動を起こしたわけではない。彼らは互いに覇権を争う競合関係にあった[8]

アムル人が具体的にどのような経過を辿って権力を握ったのかについて正確にわかる事は少ない。確実にいえる事は、ウル第3王朝の滅亡以後、メソポタミアで権力を握ったほとんど全ての王達がアムル系であった事である[9]

アムル人の中でも有名な人物にはアッシリアシャムシ・アダド1[10]バビロンハンムラビがおり、ハンムラビは自らを「アムルの王」と称した[9]ハンムラビ法典で知られる「目には目を、歯には歯を」の同害復讐原理はアムル人の習俗から導入されたという説が有力である。

出典:wikipedia

このハンムラビ法典は、シュメール法典を継承したものでした。

紀元前1757頃、バビロン第1王朝ハンムラビがシュメール及びアッカドを統一し、イシン・ラルサ時代が終わりました。

中間まとめ

このようにして、シュメール人は滅亡に至ったわけですが、高度な文明を発展させられることができた彼らのことです。生き残ってどこかに向かったはずです。

一旦、今まで書いたことをまとめます。

⚫︎シュメールの宗教都市国家=西アジア人・東アジア人の国家?

⚫︎シュメールの東アジア人は、東アジアへ。のちに殷という王朝も立てる。(西アジア人は西アジアへ。)

⚫︎シュメール人は一時バビロニア北部に起こったアッカド人に制圧された後、ウル第3王朝を復興させたが、前1800年頃にはアムル人の古バビロニアに征服された。以後、メソポタミアの主力はアッカド人やアムル人などセム語族系の民族となり、シュメール人はその中に埋没して消えてしまったが、楔形文字やジッグラト、法律などの文化は新バビロニアの時代まで生き続けていく。https://www.y-history.net/appendix/wh0101-009.html

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また、シュメールという宗教都市国家が誕生するさらに1万年も前に、日本には超古代文明があったと言われています。

⚫︎悪魔崇拝者たちが日本中心のNWO計画にこだわる理由。日本こそが世界最古の悪魔崇拝の聖地だったのでしょう。

⚫︎有史以前に高度な文明があったのは確かな事実です。しかし、悪魔崇拝者たちがその調査をずっと妨害してきました。

また、日本には有史以前からNWO政府があったと綴っているのは「竹内文書」です。

⚫︎「竹内文書」は悪魔崇拝者によって書かれた天皇礼賛に導くための古代プロパガンダの書です。

突如として現れた高度な文明技術をもった「シュメール人」は、突然そのような技術を発達させられたのではなく、長く伝わってきた高度な技術を応用した、と考える方が「宇宙人説」を信じるよりもマトモだと言えるのではないでしょうか。

シュメールにもまた、そのような高度な技術をもった日本人が大陸を渡って到達していたからこそ、文明を発展させられたのかもしれませんね。

シュメールが滅んだあと、里帰りをするかのように、最終的には日本にも流れ着いたであろうシュメール人ですが、日本だけではないでしょう。

では一体、どこに向かったのでしょうか。

シュメール人の行方

シュメール人の行方については諸説ありますが、おおきく、①ヒクソス②九夷について述べていきます。

ここからは、エジプトに向かったであろうシュメール人「①ヒクソス」及び、シュメール人とユダヤ人と日本人の繋がりの全体像などを見ていこうと思います。

②は次回の記事にまとめます。

エジプトに流れ着いた「ヒクソス」


ヒクソスがどのような起源を持つのかについては、エジプト学でも未解決の問題となっています。
エジプト第15王朝は、ヒクソスによって立てられた王朝でした。

時代は紀元前1663〜1555年頃と言われています。

・ヒクソスの人名はほぼセム語系であった。

・ヒクソスの神は「バアル」

・ヒクソスはアジア系の異民族と説明されることが多い。

・ヒクソスは野蛮な侵略者。軍事力でエジプトを征服した。

参照:wikipedia

このような特徴をもっていた「ヒクソス」でしたが、セム系であったことは確かなようです。

そして、その「ヒクソス」が支配していた第2中間期に、エジプトに迎え入れらたのが旧約聖書に登場する「ヨセフ」でした。

その「ヨセフ」の後に続くのが、誰しも知っているであろう、あの「モーセ」です。

今日のユダヤ人の祖先である古代イスラエルの民はアブラハムを始祖とする。聖書によれば、アブラハムメソポタミアで暮らしていたが、あるとき神の言葉を聞いて、「約束の地」カナン(パレスチナ)へと旅立った。これが何らかの史実の反映とするなら、そのもととなった出来事は紀元前2000〜前1700頃のこととされている。アブラハムの4代目の子孫ヨセフは奴隷としてエジプトに売られてしまうが、ファラオ(聖書ではパロ)の夢解きをした功績により宰相にとりたてられた。これを機にヨセフは家族をよびよせ、彼の一族はエジプトで子孫を増やしていく。

やがてヨセフの子孫たち――イスラエルの民をとりまく情勢が激変する。奴隷の境遇に落とされたのである。この境遇の落差は、第2中間期(前1785〜前1565頃)から新王国時代(前1565〜前1070頃)への移行に帰因するものといわれている。異民族ヒクソスが支配していた第2中間期に迎えられ優遇されたイスラエルの民は、エジプト人王朝の復活とともに巻き添えをくったのであると。
奴隷として苛酷な労働を課せられるイスラエルの民。そんな彼らの解放者として現れたのがモーセである。モーセの指導のもと、「出エジプト」がおこなわれる。「出エジプト」は前13世紀頃のことといわれれいる。

『目からウロコの世界史』島崎晋/著PHP文庫2006年発行

優遇から奴隷へと一転、イスラエルの民の運命(一部抜粋しています)https://cool-hira.hatenablog.com/entry/20110715/1310677840

と、このように「ヒクソス」はイスラエル人との関わりもありました。

「ヒクソス」は、その野蛮さゆえに武力で征服したとありますが、そうではなく、「アモリ人」が徐々にシュメールに浸透していったように、この「ヒクソス」もまた徐々にエジプトへ浸透していったのかもしれません。

だいたいの流れはあってるんだけど、このコラムは史実というよりはプロパガンダの一種だ。「ヒクソス王朝を打ち倒しエジプト再統一を果たした我ら第18王朝こそ正当な王家なり!!」という、第18王朝の王家の宣伝を真に受けてしまった、一方からの視点でしかない。対立する勢力があった場合に、一方に肩入れして描くのも歴史の一つの在り方ではあるが、それだけだと見えてこないものが沢山ある。
対立する勢力があった場合は、一歩引いて双方をできるだけ中立に眺めてみたほうがいい。
というわけなので、これはこれとして、自分の理解している考え方を書いておく。
まずヒクソス人は、いきなりやってきた侵略者ではない。少しずつエジプト北部に移民しつつ馴染んでいた移民だと思われる。根拠は、ヒクソス人の初期の駐留地でエジプトの神とヒクソス人の信仰する神が融合したものが祀られていた形跡があるからだ。土着のエジプト人と混じって何世代か暮らしていないと、そういう考え方は生まれない。
そもそもヒクソスは国家ではなく民族。ふつーに考えると、エジプトという「国家」と戦争して勝てる戦力は持っていなかったはずだ。そして中王国時代末期のエジプトの国力は、いくら衰退していたとはいえ、いきなりやってきた民族単位の侵略者にあっさり滅ぼされるほど弱小ではなかった。
第二中間期ごろの勢力を整理してみた図が以下になるが、第13王朝の末期の100年間、ヒクソスが王朝をたてる以前には、既にエジプト北部は実質、エジプトの王権の支配下には無い。ヒクソスは、権力の空白地で数を増やすうちに、それらの地域をまとめて王朝を作った、というだけのように見える。http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/topics8.htm
ちなみにもっとあとの時代、エジプトはアッシリアやペルシアといった本当の「侵略者」に打ち負かされて支配されることになるが、どちらもエジプト以上の軍事力を持つ当時の大国である。これは戦争に負けて一方的に支配されているので、比べてみるとヒクソス王朝とは全然やり方が違う。
かつては、ヒクソスが馬や戦車を操れたので、その優れた戦力によってエジプトはなすすべなく負けてしまったといったもっともらしい説明がなされることがあったが、まぁ考えてみて欲しい、土着民に比べて圧倒的に少人数の民族が、大量の戦車連れてエジプトに攻め入るのは現実的ではない。戦車で無双できるのはゲームの中だけだ。
そして、いくら軍事力に優れていたとしても、数の上で少数の外来人が、自分たちより数が多く文化レベルも高い民衆を支配するのは困難だ。元からある支配構造や官僚機能はそのまま残すのが普通である。これはヴァンダル人によるカルタゴ支配などでも見られるやり方だ。

実際、エジプトに王朝を打ち立てたあとヒクソスの指導者たちは、エジプト風の名前を名乗り、エジプト風に統治しているので、実際の支配者層はエジプト人だっただろう。

この国民も騙されてしまう【密かな乗っ取り】は、実に狡猾な手口ですね。

この国民も騙されてしまう【密かな乗っ取り】ですが、実は、現代の日本でも起きていることです。

(ここから話はだいぶ逸れますが、あとからちゃんと繋がっていきます。全体像を知るうえでも必要な話です。)

日本の王座にいる「支配者」

誰が黒幕

陰謀論では何かとアメリカを悪としたい風潮があります。

アメリカのイルミナティー であれば、偽ユダヤ人の「ロックフェラー」が有名です。

ヨーロッパのイルミナティー であれば、同じく偽ユダヤ人の「ロスチャイルド」が有名ですね。

イルミナティーはおとぎ話だと思ってる方もいらっしゃるとは思います。

しかし、これだけは言えます。彼らは確かに莫大な金と力を持ってして世界の歴史を動かしてきた一族であり、それは今も現在進行形なのです。各イルミナティー13血流について詳しくはこちら。

⚫︎イルミナティが天皇中心の世界統一政府を樹立しようとしていることを裏付ける幾つかの客観的事実。

また、ベンジャミンフルフォード氏が言うには、「ヒクソス」の世界支配を実現しようとしているのがナチスであり、その中心国がアメリカである、とのこと。

事実そうなのかもしれませんが、アメリカこそが「闇の支配者」というのは如何なものでしょうか。

確かに悪人であることは変わりありませんが、全ての悪の根源がアメリカにあるという思想を日本に持ち込んで当てはめる見方は、実に薄っぺらいとしか言いようがありません。

結論からいうと、ここ日本におけるその「闇の支配者」とはイルミナティー の13血流の血筋のひとつ「李家」だといえます。(※これら「李家」に関した一連の事実はこちらのブログを参照したものです)

そして「李家」は偽ユダヤ人ではなく、真性ユダヤ人だと言えます。根拠は後ほど述べています。

このあまり馴染みのない「李家」が日本を長らく支配しているわけですが、もちろん、名前の通り「李家」は初めから日本にいたのではありません。

では、「李家」はどこから湧いてきたのでしょう?

真性ユダヤ人「李家」とは

1300年代から1900年代にかけて、朝鮮半島には「李氏朝鮮」という国があり、その国こそが「李家」の国でした。

「李氏朝鮮」もまた、強力な王権制度によって何世代にもわたり世襲で地位を守ってきた国でした。

「李氏朝鮮」がどのような軌跡辿り、いまの「大韓民国」となったのか簡単に説明すると、「大韓民国」と「北朝鮮」が今の国家となるまでには、次のような歴史を辿りました。

ややこしいですが、「大韓帝国」は韓国と北朝鮮も合わせた朝鮮半島全体を治めていた国で、「大韓民国」は現在の韓国を指しています。

まず「李氏朝鮮」から説明します。

「李氏朝鮮」時代、国は中国の「明」の属国にありました。

「李氏朝鮮」王朝を建国したのは「李成桂」という人物です。

彼はもともと「高麗」の主君の臣下でした。しかし主君を裏切り国を興すにあたって「明」の力を借りたために、「李氏朝鮮」は「明」の属国となったのでした。

「高麗」→「李氏朝鮮」→「大韓帝国」→「大韓民国」と至るまでに、

ちなみに「KOREA」は「高麗」が語源というのもあり、韓国人の祖先は高麗人だと考えられています。

さらに遡ると「李」という姓は、明代に皇帝がユダヤ人のレビ族に授けたものだったのです。

1955年、中国による開封の調 査において、その集落に住む、 艾(Ai)、 石(Shi)、 高(Gao)、 金 (Jin)、 李 (Li)、 張 (Zhao)、 趙 (Zhan) の一族を、政府の役人が訪問しました。その際これらの姓は、明代( 1 4 ~ 1 7 世 紀 ) に皇帝よりイスラエルの民に授 けられたものであり、イスラエル人の氏族名である Ezra、Shi- mon、Cohen、Gilbert、Levy、 Joshua、Jonathan にちなみ、その発音に準じた中国名であることが確認されました。

このことからも、中国におけるイスラエル民族の存在は公に認知され ていることがわかります。シルクロードに沿ってイスラ エル民族の末裔がアジア大陸全体に離散していることは、もはや疑いもない事実なのです。イスラエルの失われた10部族の行方を調査する機関である「アミシャーブ」によると、離散したイスラエルの末裔は、アフガニスタン、パキスタン、インド、ミャンマー等に今日も住んでいるこ とが判明しています。そして中 国の東にある日本にも、イスラエルの民が渡ったのではないか と推測しています。

また、王の資格になる者は2種類あるそうで、王になる者、そして王を選ぶ側もまた王の資格がありました。旧聖書にもある通り、レビ族はその王を選ぶ役目にありました。

そうしてレビ族は中国大陸へと渡り、李家の姓を名乗るようにまでなったのです。

「李氏」は間違いなく王族の資格を持っていました。

李氏これは文句なく王族の資格がある。李世民は唐の王様だし、李氏朝鮮もそうだし、古代ベトナム李朝越国も李氏だし、西夏の国姓でもある。この同族は秦氏として日本へも来ているわけで、王の血流としては文句はない。ただ問題は、王族を選ぶ側でもあるわけで、たぶん李氏には何系統もあったんだろう。
「李氏朝鮮を建国した李成桂は東北面出身でこの地域の女真族を自身の支持基盤とした。開国功臣だった李之蘭はこの地域出身の女真族指導者として同北方面の女真族と朝鮮の関係を篤実にするのに重要な役割を担当した。李氏朝鮮時代、同北方面の領域で領土拡張が可能だったことは女真族包容政策に力づけられたことが大きい。」とあり、李氏朝鮮の李氏は満州で傭兵を動かしていたということだな。

https://blog.goo.ne.jp/palinokuni/e/3dbfb0f2653dafa95101067147302249

ちなみに、はじめからレビ族が悪人の集団であったと言っているのではありません。

旧約聖書にも書かれてある通り、レビ族は神からの任を任された特別な一族でした。

古代イスラエル王国が誕生すると、神殿が建設されて、レビ人の神殿礼拝は政治と結びつくようになる。

その後、イスラエル王国が北イスラエル王国南ユダ王国に分裂してからも、レビ人はダビデ家に忠誠を尽くし、北イスラエルに序住していたレビ族は南ユダに移住し、南ユダ滅亡まで続いた。

バビロン捕囚以降は、レビ族の立場が確立されていった。後に、ヘレニズムの時代はハスモン朝ローマ帝国下にあってはヘロデ家の関係のもとに大祭司が任命されていった。紀元70年のローマ軍によるエルサレム陥落によるユダヤ滅亡以降に大祭司は任命されていない。

ユダ王国では度々、ユダヤ教ではない他の異教の神々を拝む「悪魔崇拝」が蔓延り、民も堕落していきました。そのような背景も考えれば、レビ族がユダヤ教ではない他の宗教を拝むようになったと考えても違和感はありません。

また、ユダヤ人は紀元前、既にもう中国大陸へと渡って来ていました。

その紀元前に中国大陸から渡ってきたユダヤ人(子孫)の代表例が「孔子」です。諸君子もみなユダヤ人です。

「李氏朝鮮」時代に、国教が「儒教」となったのも、「孔子」がユダヤ人であったことと関係があるかもしれませんね。

このようにユダヤ人は、紀元より前の中国大陸でその名を馳せ、栄華を誇っていたのでした。

これらに関しては、古代シュメール国家の行方とともに、より中国の歴史にフォーカスしながら記事にまとめたいと思います。

「李家」が日本に乗り込んでくるまで

ともあれ「李家」は、明治維新のどさくさで日本の天皇を乗っ取た可能性がとても高いのです。

「田布施システム」の基盤となっている「明治天皇替え玉」説は有名ですが、田布施に巣食う在日朝鮮人、すなわち「李家」の人間たちがこの「明治天皇替え玉」を企てたと考えて間違いありません。

くわしく知りたいという方はこちらの記事を参照してください。こちらの記事では、彼らの真の目的なども考察してあり、安倍晋三が「李家」の子孫だったことも書かれてあります。

ただの「象徴」には収まりきらない天皇一味。

このように「李家」は、今なお衰えを知らず(最近はそうでもない?)、自らを脅かすような不都合な歴史的事実を隠蔽しています。

そうやって隠し通せたのも、あらゆる日本メディアが在日朝鮮人で成り立っているからに他なりません。

こうやって権力の座に居座り続けることができたのも、それもこれも日本の天皇制度のおかげといえます。

我が国は立憲君主制で、天皇は象徴です。

立憲君主制なのですから、憲法に従って民主主義的に政治が行われているハズ…なのですが…

その実、政治・経済・宗教・芸能をはじめとする凡ゆる業界は、ただの象徴であるはずの天皇の血縁者で溢れかえっているのです。

このカラクリには、GHQによって皇籍離脱を余儀なくされた「旧皇族」が関わっており、彼らは「旧皇族」の地位復活を目論んでいると考えられています。

そのためには「明治憲法」の復活が必須なわけです。

なぜなら、明治憲法によって主権(国を統治する権限)が天皇に戻れば、旧皇族たちの地位も自動的に復活するのですからね。

とはいえ、天皇一味は現時点でもう業界という業界を牛耳っています。そのため、血縁とは程遠い部外者は上に入り込みにくい体制が整っているというのは、紛れもない事実。

日本は天皇一味による独裁状態にある、といっても過言ではないでしょう。

何度もいうように、その独裁者の正体が「李家」です。

『ドイツを立憲君主制に導かなかったから、ヒトラーという暴君が誕生してしまったのだ』と、歴史を振り返る意見もありますが、本当にそうでしょうか。

いまの日本のように、天皇が実は在日朝鮮人で、その血縁者だけが甘い汁をすすり、庶民から税をむしり取れるだけ取って、善人面をしているのだと知ってもまだ本当にそう思うでしょうか。

立憲君主制が悪いと主張しているのではありませんが、このような事実がより明らかになって国民に知られるようになってほしいと思います。

シュメール・ユダヤ・日本の繋がり

文明が栄えるところにユダヤ人あり

このようにして「李家」は、拠点を李氏朝鮮から日本へと移したわけですが、これはただの偶然では無いかもしれません。

というのも、文明は1611年に一度、地球の16分の1の距離(22.5度)移動している説があり、それを「ガイアの法則」と呼ぶのですが、

これは文明が栄える場所は「地球のバイオリズムの法則」によって法則的に動いている、というスピリチュアル的な発想がベースの思想です。

⑴1611年に一度、地球16分の1の距離(22.5度)を移動していく

⑵西と東の交互に移動する。西に移動した文明は物質文明が栄えて、東に移動した場合は精神文明が栄える

⑶西暦1995年までは西(物質時代)の移動で、ロンドンを拠点としたアングロサクソン文明が栄えていた

⑷西暦1995年以降、東(精神時代)の移動で、次の栄える文明の拠点が、日本の東経135.0度である明石、淡路島、加東市となり活動期に入った

https://rlung-happylife.amebaownd.com/posts/1147219/

しかし、ガイアの法則は宇宙的な法則なんかではなく、人為的に起こされたものだと考えられます。

というのも、なぜかイルミナティー は【東経135度】を重要視している節があるためです。

地球國の大統領の任期は800年
800年と決まっており、イギリス出身のアンングロサクソン大統領は、2014年の現代では、すでに退任して引退となっているのです。
1600年前の前々回の大統領は、中国出身の唐さん大統領うだったので、次は、そこから世界地図で22.5度東に行った「東経135度」の日本の子午線「明石・淡路島~丹波篠山地方」出身の方が地球の新しい大統領となることになっているのです。
任期は約800年、まだ就任直後の19年目なので大きな変化はありませんが、これからゆっくりとおおよそ、100年ほどかけて地球の新しい文明の中心地として日本が世界をリードしていくことになるのです。
135度文明・日本の出番です
出口王仁三郎の「おおもと神喩」によれば、最期の一厘で グレンとひっくり返るとのこと。
「大震災からの復興、原発事故や放射能問題などで窮地に立たされている日本が世界のリーダー?国民の多くが洗脳されている現代の日本人にはありえなく、この先の資本主義経済の崩壊と立て続けに起こる大災害が追い打ちをかけます。
どうやら、世界の他の国よりも一層大変なカタストロフィーを受ける役割が日本という国なのでしょう。
このように様々な問題を抱えたどん底にいる日本人だからこそ、人々はなんとかしようと試行錯誤考え、解決しようと今までにない能力を発揮すると思います。隠されて、封印されてきた倭魂(やまとだましい)へのDNA・スイッチがオンとなるわけです。、人は窮地に立たされれば立たされるほど底知れない未知のエネルギーを発揮します。
一連の一見、とても大変と思われる事態、状況はこのような仕組みが隠されていることを理解しましょう。今、大勢の人々が苦しんでいます。これも必要で必然で起こっている宇宙の仕組みなのです。
和の舞と東経135度文明
1995年、大地が激しく揺れました。 阪神・淡路大震災は東経135度、淡路島の近くでおこった巨大地震でした。

〔省略〕

----------------(転載ここまで)

この記事では、文化のスピンが自然に(神様の計らいによって)「1611年」毎に「135度」ずつ起きたかのように書かれていますが、対談の中でもお話しています通り、このような文化のスピンが自然に起きるわけがありません。

この文明のスピンは全て人為的に引き起こされたものに違いないのです。

そうでなければ、きれいに「1611年」ごとに「135度」ずつ文明が移動していくわけがありません。

しかも、この「1611年」という数字。よくよく見てみると、「1+6+11」で「18」ですね。「6+6+6=18」、つまり「みろく」です。悪魔の数です。

また、阪神淡路大震災が起きたのも「1月17日」ですが、これもまた見事に「1+17」で「18」ですね。

対談の中ではわざわざ「11+7」としましたが、「1+17」のままでも一応は「18」になります。しかし、「11+7」としたのにはそれなりの訳があります。その訳がお分かりにならない方は以下のリンクをご参照ください。

RAPT有料記事142015105日)「6」と「7」と「11」と「18」の意味。

しかしながら、この阪神淡路大震災では「神戸」や「大阪」に多大な被害を出したものの、「淡路島」では大した被害が出ませんでした。

彼らとしては、中央構造線上にある「淡路島」の土地を強奪するために「阪神淡路大震災」を引き起こしたに違いないのですが、その計画がものの見事に失敗してしまったわけです。

詳しくはこちら

そして、この阪神・淡路大震災の追悼式典の様子がこちら。

プロビデンスの目です。

あまりにもあからさまですね……。

ちなみに第18回目ということで、6×6×6=18で666という数字の拘りよう。

文明の栄えるところにユダヤ人あり?

…と書きましたが、

これについては今後の記事でより分かってくると思います。

最後に、「アブラハム」について述べておきます。

ユダヤ教の祖「アブラハム」

ユダヤ教の祖である「アブラハム」の先祖は「セム」で、その何世代か前が「ノア」で、その更に前が「アダム」となっています。

ノアには「セム」「ハム」「ヤペテ」の3人の子孫がいましたが、「セム」以外の子孫は悪魔崇拝する民族となりました。

※セムの子孫のなかにも悪魔崇拝をする輩はいました。また「セム系」とはセムの子孫のことではなく、セム語を話す人々のことなので悪魔崇拝民族も含まれます。

ちなみに「アモリ人」の先祖は「カナン人」で「ハム」です。

※アルファベットの原型を作ったとする「フェニキア人」も「カナン人」。カナンが悪さをして子々孫々呪われたと言われている。「ペリシテ人=ヘテ人」も「カナン人」。

アブラハムは、カルデアの「ウル」に住んでいました。カルデアとはバビロンのことです。

「ウル」はシュメールです。

つまり、アブラハムもまたバビロンという悪魔崇拝が蔓延っている場所で、悪魔崇拝をしていたことになります。

ヨシュア記24章2ー3節に「あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラえを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。しかし、わたしはあなたたちの先祖アブラハムを川向こうから連れ出してカナン全土を歩かせ、その子孫を増し加えた。」とある通りです。

ですが、アブラハムはあらゆる試練をクリアし、旧約聖書に書かれてある本物の神から認められ、アブラハムは祝福を受け、子孫が繁栄していきました。

その子孫たちがユダヤ教を信じる「ユダヤ人」となっていきます。

そして、アブラハムの子孫から「キリスト」が誕生し、キリスト教徒は、キリストを拒んだユダヤ教徒とは道を違えていきます。

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今回はここまでです。

このシリーズは次回も続きます。

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