みなさんは古蜀という国を知っているでしょうか?
古蜀とは、三国志の蜀の地に夏王朝以前からあったとされる、古代の古蜀王国のことです。
夏王朝よりも前に王朝があったとすれば、中国5000年の歴史、ですね。
夏王朝は紀元前2000年頃の王朝ですが、古蜀は遺跡から鑑定するにそれよりも約1000年ほど前のものと考えられています。
長江流域の「三星堆遺跡」が古蜀の遺跡ではないかと考えられており、その「三星堆遺跡」から発掘される遺物がまるで宇宙人のようである故に“宇宙人説”が唱えられています。
画像参照元:Wikipedia
人間の形をしていないからって、それをすべて宇宙人につなげるのはやめてほしいものです。真の歴史が隠されちゃいますからね!( ˆ̑‵̮ˆ̑ )
今回の記事では、この遺物が意味していることも考察しているので、宇宙人説を信じる必要はありません。
それにしても古い古蜀王国の歴史ですが、紀元前3000年ともなればシュメールのウル第一王朝が発足するより500年ほど前には既に王国として栄えていたことになりますね。
ということは、「ウバイド人」も関係しているのかもしれません。
ウバイド人とは、洪水がくる紀元前5000年前から3500年前まで、メソポタミアの先文明を担っていたといわれている人々でした。ウバイド人は決して原始人ではないのです。
歴史好きであれば知っていると思いますが、京都皇統(裏天皇)から情報提供されているという落合莞爾氏のウバイド人によるワンワールド説はあまりにも有名ですよね。(※参照http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=329623)
落合氏によれば、「ウバイド人→天皇」とのことですが、もしかすればその図式には“古蜀”の存在がまるっと抜け落ちているかもしれません。つまり「ウバイド人→古蜀→天皇」の可能性もあるわけです。(でも今回はウバイド人には触れていません。いつかまた記事にできればと思います。)
京都皇統から情報を提供されているとのことですが、これは言い換えれば、京都皇統すなわち裏天皇と呼ばれる上級国民の手先とも受け取れます。
ですから、裏天皇は何らかの狙いがあって落合氏を利用しているかもしれないとか、自分たちには不利益にはならないように情報操作しつつ最も重要な情報は明かしていないのではないか?とか、そんなふうに解釈することもできるわけです。
今までもそしてこれからも、ただの善意で庶民の知り得ない重大な情報を提供するはずがないと考えるほうが自然ではないでしょうか?(笑)
でもまあ、重要な情報を公開して頂いていることは確かです。
前置きが長くなりましたが、今回はこの古代の古蜀王国についてまとめてみました。NHKでも取り上げられたことがあるみたいですが、はたして真相はどのようなものなのでしょう。
古蜀は日本列島と関係してくるのでしょうか?
CONTENTS
古蜀王国
古蜀王国の末裔である、イ族(彝族)。
紀元前3000年に栄えていたとする古蜀ですが、遺物をみる限りではかなり高度な文明を持っていたと考えられています。
古蜀の遺物は、殷などの他の王朝とはまた系統が違う遺物なのだそうです。
長江の上流でこのような文明があったことは驚くべきことでした。
しかし、中国人にとってこの発見は大打撃となったそうです。
というのも、中国人は黄帝vs炎帝を支持し、あらゆる王朝の子孫を黄帝(黄河文明)の子孫と結びつけており、黄帝を漢民族の偉大なる祖としているため、「長江文明で発掘された遺跡が中国最古の国」では困るらしいのです。黄帝は黄河文明、炎帝は長江文明を担ったとされ、今では炎帝の子孫が日本人になったと考えています。
中国“4000年の歴史”を否定? 共産党がひた隠す不都合な「宇宙人遺跡」とは
リンクした記事では、「古蜀王国が現在の少数民族によるもの」であることが不都合な事実だとしていますが、「炎帝の子孫」であることもまた大きな不都合だと考えていると思われます。
いまだに四大文明を歴史用語として教えられ(実際は歴史用語ではなく政治用語であり四大文明よりも古い文明はいくらでもある)、真の歴史を学ぶことを許されていないとしかいいようのない日本人も実に哀れですが、それは中国人も同じなようです。
素人なりの見解としましては、黄帝は姫氏ですが(そもそも黄帝や炎帝は空想上の人物とされている)、おそらくは炎帝とつながりのある姫氏=東夷=イ族の面々が中国の古代王朝を建てていったのではないかとみています。
※ただ、夏王朝は間違いなく東夷ですが、殷王朝は何だか特殊なので違うような気もしています。「殷が羌族を生贄にしていた」というのが引っかかります。(っ ̯- )˚˚˚
イ族の格差
とにかく、そんな王国がなぜ滅びることとなったのでしょうか?
古蜀の民は忽然と姿を消したとのことですが、一方で、現在も中国の少数民族のひとつに数えられている「彝(イ)族」が古蜀人の末裔だという仮説もあります。
画像参照元:https://blogs.yahoo.co.jp/karai_thai/4222773.html
研究者によると、イ族のシャーマン(ピモと呼ばれる)の使用する経典(代々引き継がれてきた)の文字と遺跡で見られる文字とが一部で一致する。また、死者の儀式でピモが死者の霊に呼びかける時、祖先のいた場所に着くように指示をするが、その行先をたどると、三星堆遺跡の場所になるということだ。以上の調査から、彼らが古代国家の末裔と推測している。
イ族のシャーマンである「ピモ」が所持する経典の文字は「ロロ文字」と呼ばれています。
このロロ文字と、三星堆遺跡で発見された文字が同じであることが根拠となっているようです。とはいえ、イ族が古蜀の末裔である事は、まだ“仮説”の段階であり、完全には結論つけられていません。
そんなイ族は、現代の中国社会のなかでは少数民族であるゆえに貧しい生活を強いられて…るわけでもないようです。
貧富の差はかなりあるものの、市街は上海とさほど変わらないのだとか。
2019.3.18
雲南省は、中国西南地域に属し、ラオス、タイ、ミヤンマーに国境を接する地域であり、中国一帯一路の南方の要衝基地として最近注目されている。また、自然環境に恵まれた地域であり、省内には世界遺産が4カ所あり、観光業が中心となっている。
気候は亜熱帯地域に属し、海抜2000m程度の高地にあり、植物資源や鉱物資源が多く「有色金属王国」と言われており、中国特有の漢方薬の特産でもある。
民族は、イ族(先祖はチベット族、回族の末裔といわれている。)、ワ族(南アジア語族)を中心とした少数民族の地域であり、身長が小さく日本人と同様な体つきをしている。
最近の中国国家統計局によれば、雲南省は2018年の投資成長率が第3位となっており、中国の重点投資地域となっている。
昆明市は、雲南省の中心に位置し、雲南省の省都として標高は平均1800mと高地になっており、三方は山に囲まれており、盆地型の気候である。年間平均気温が15度前後となる暖かく過ごしやすい土地であることから、中国では、通称「春城(春の街)」といわれており、人口は現在約750万人といわれている。
視察して驚いたのは、昆明市中心市街地では、2007年ごろから都市開発が始まり、現在ではタワーマンションが林立し、中国地方都市でみられるように、農地を開発し、近代的な街つくりとなっている。市民の生活状況も北京、上海の生活水準と変わりがなく、若者のファッションも中国湾岸都市の若者と変わりがない。最近では、地下鉄も整備され、街の勢いが感じられる。
http://shimozaki.jp/report/20193438-%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%98%8E%E8%A6%96%E5%AF%9F/
イ族が住む地域は、以下の画像の通りです。
このように、土地の気候もいいばかりか、市街地の生活水準は高く、発展しています。
が、先ほども言ったように貧富の差はかなりあるみたいです。
半世紀前までイ族には奴隷制度が存在していた、とのこと。黒イの貴族と、白イの平民でわけられているのだそうです。
白イと呼ばれた人々が今でも貧しい生活をしているのかもしれません。
イ族と日本人の共通点
イ族は、日本人との共通点が多くあります。
たとえば蒙古斑。お尻や腰、背中ある青あざである蒙古斑はメラニンが原因しているといわれていますが、日本人の90%にみられるものなのだそうです。
そして、この蒙古斑はイ族にもみられるのです。
ちなみに、基本的に中国人(漢民族を自称する人々)には蒙古斑がありませんが、韓国人の約97%には蒙古斑がみられるのだそうで、アジア人の中で最も高率です。蒙古斑はイ族だけではなく、そのほかの中国の少数民族においてはたびたびみられるともあります。
また、興味深いのは言語です。
中国メディア・東方網は28日、「中国には日本語を聞き取れる少数民族がおり、日本人の祖先はここから生まれたとの説もある」とする記事を掲載した。
記事は「日本の歴史上の発展は、中国と深い繋がりを持っている。そして、日本の起源についても中国にかかわる様々な説が出ており、例えば秦の始皇帝の医師だった徐福が祖先といった説や、東南アジアから逃げて来た移民が祖先という説もある。しかし近年、日本の学者が日本人発祥の地として四川省の山岳地帯にある涼山を挙げたのだ」と紹介した。
そして、日本の歴史学者が長年の研究の末、日本の言語や習慣が四川省の涼山に住むイ族とかなりの部分で似ていることを発見したと説明。実際に現地調査に訪れたところ、現地のイ族の人たちは日本語の発音に違和感を覚えず、一部の発音は日本語とほぼ同じであり、いくつかの日本語の意味も理解できたことから歴史学者が大いに驚いたと伝えている。
歴史学者もあっと驚いてしまう事実だったみたいですね。
ですがその昔、古日本語は大陸全体に広がっていた説もあるのですから、なんら不思議なことではありません。
渡来人も縄文人も原日本語を話していたとのこと。
イ族が少数民族となったわけ。
言語も見た目も日本人に近いとなると、日本人の祖先と考えたくもなりますが、中国の少数民族には日本人に似ている民族がいくつもあります。
こうした少数民族が“漢民族”に追いやられ僻地で暮しているのは、漢民族を脅かしてきた“東夷”や“姫氏”とつながりのある民族だからなのかもしれません。
つまり、中国における少数民族の多くが日本人の祖先(いわゆる東夷か?)との繋がりがあり、漢民族、というより黄帝の子孫(を名乗る人々)がこうして日本人の祖先に当たる人々を僻地に追いやってきたかもしれないということです。
イ族がのちに中国の少数民族となったのも、このような理由があったのでしょうか。
しかしながら、イ族が追いやられたことは歴史的に説明できるようです。
それでは、なぜに彼らがこのように人里を離れた高地に住むようになったか、歴史の経過から説明している。東晋時代に編纂された「華陽国史」に簡単な記述があるとのことだ。紀元前316年に秦が侵入してこの国(古蜀国と名付けられている)を滅ぼしたこと、紀元前2世紀に漢の武帝がこの地に益州を設置して中央集権を強めたこと、さらに諸葛孔明が漢民族による支配を徹底させたとのことである。このように、古蜀国の人々は侵入者により次々と追い払われ、最後には人里を遠く離れた高地にまで逃げ延び、イ族の文化と伝統を守ってきた。
まず大前提として、個人的に「イ族=東夷:長江文明」とみています。
日本へ渡ってきたとされる弥生人は、すなわち呉や楚の人々ですが、かつて「斉」という呉・越・楚の人々が集まった国がありました。
その斉国は、秦に滅ぼされた歴史があります。
秦の始皇帝や、殷の王は黄帝の子孫を名乗っていますが、実際そうなのかもしれません。
重複しますが、イ族が秦によって追いやられたこと、呉や楚など東夷と思われる人々もまた秦によって滅ぼされたこと、これらはすべて黄帝の子孫を名乗る人々(黄河文明)が炎帝の子孫を名乗る(長江文明)人々と長く対立関係にあり争ってきた事を示すものだとも考えられるからです。
くわしくはまた別の記事にまとめたいと思っていますが、こういった見方もできるよとだけ紹介しておきます。
加えてイ族には、代々伝わる伝統的な予祝祭である「火把節(かはせつ・たいまつまつり)」があります。
火の祭りといえばゾロアスター教がぱっと思いつくのですが、日本における密教はゾロアスター教を取り込んでいます。
「神社」と「山」と「ピラミッド」と「空海」と「秦氏」と「ゾロアスター教」との切っても切れない関係。
日本の「虫送り」も似ているともあります。
いずれにせよ、イ族と日本人の共通性はかなり深いみたいですね。
三星堆の「宇宙人遺跡」
青銅縦目仮面が意味するものとは。
画像参照元:http://www.localchengdutours.com/photo-p80-1085-sanxingdui-museum.html#photo-title
まず、はじめに言っておきますが、宇宙人は残念ながら存在しないと思われます。
宇宙人を否定する人間を裏社会の人間と決めつける前に、もう一度、我々の敵が宇宙人なのかどうか深く考え直してみましょう。
わたしは政治や経済の情勢に1ミリも興味がないとき、この退屈な世界に嫌気がさしていたせいか、スピリチュアルだとか宇宙論にとてつもなく神秘を感じていました。
それもあって、宇宙人が存在することは確信していましたが、それはいまではもう覆されています。
というのも、世の中の情勢を学ぶようになり、庶民が奴隷状態にあることに危機感を覚えはじめ、いわゆる上級国民がどれほどまでにわたしたちを騙してきたのかを嫌というほど知るようになったからでした。
宇宙人はただの目眩しです。
上級国民をみると、カトリックだとかクリスチャンが多く目につきます。
これが何を意味するのか、あとはご想像にお任せしますがリンクした記事を読んでいただければと思います( ◜◡◝ )
アーモンド型の目と、大きな耳。
さて、考察に移りますが、この遺跡の「飛び出した目」だとか「横に大きく張り出した耳」はいったい何を意味しているのでしょうか。
みなさんは、どう考えますか?
なぜ飛び出させる必要があったのか…耳をでかくしなければならなかったのか…
遺跡のなかには目が飛び出ていないものもありますが、
画像参照元:Wikipedia
画像参照元:http://www.localchengdutours.com/photo-p80-1085-sanxingdui-museum.html#photo-title
いずれにしろ、目の形は「アーモンド型」なのですね。
アーモンドアイはほかの遺跡でも見られるものですが、それはただ「顔が平たい族の目がつり目な人が遺跡を建てたから」ではなさそうです。
アーモンド型の飛び出た目と、大きな耳。
じつはこれ、脳の機能🧠と大きく関係していた可能性が大です。
上の写真のこの仮面って
額に穴があるけど、角か触覚みたいなのが付いとる仮面もある。 これね。
上の穴あき仮面は触覚部分が外れたんやなくて、留め金が折れたんやな。
面白い鋳造の仕方でね、仮面と触覚を別々に作ったんやなくて、仮面を先に作りその仮面ごと、仮面の内側にはめ込みの留め金が付いたままの触覚そのものを鋳造しとるけん、はめ込み部が折れたら仮面に穴が開くけど、折れない限りは触角が外れんようになっとるんよね。
で、オイラ、触覚触覚って言いよおばってん、触角やないやろう。
これはね、蝶の「口吻(こうふん)」やね。
このデフォルメされた仮面の、アーモンド形に飛び出した目は
それこそアーモンド、「扁桃体」か、「脳下垂体」か、若しくは「松果体」が活性化してエネルギーが溢れている状態やないのかな?
異常に大きな耳の正体は、「蝶形骨」を象徴したものか、
「松果体」が活性化した時(松果体の位置で言えば、アジナーチャクラ、
それに、クンダリーニがもう少し上の頭頂のサハスラーラチャクラまで
昇り詰めた時)に輝く、角状、三日月状、鳥の羽を広げた形、蝶の羽の
形の様な「オーラ」(アストラル体か?)を象徴しとるんやなかろうか。これも同じやで。
エジプトの、スカラベや。
これも参考になるかな?
蝶形骨や。
「松果体(松ぼっくり)」は、この上に在る。
http://blog.livedoor.jp/nakinishimoarazu2012/archives/8400401.html
こういう仮面が現代にあったら、「脳の機能を促進する仮面」とかいう詐欺紛いの売り文句で売られてたかもですね!!ꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)
ちなみにアーモンドの和名がヘントウ(扁桃)で、アーモンドが扁桃体の形をしているからなのだそうです。
桃とアーモンドはもともと同じ原種だったそうで、大昔に地殻変動で中央アジアの山脈が東アジアと西アジアを隔てたことにより、それぞれの環境に適応した結果、アーモンドと桃に別れ今に至るのだそう。
サイコパスは通常の犯罪者よりも扁桃体の活動が弱いらしいですが、それは扁桃体が感情と強く結びついている器官だからです。
扁桃体は精神障害(不安障害・鬱病・双極性障害・境界性パーソナリティ障害など)と結びついているという研究結果もあり、この場合は扁桃体は優位に活動しているとのこと。
自己愛性パーソナリティ障害はギョロ目だとかも言われますが、甲状腺機能障害であるバセドウ病でも眼球突出という症状が見受けられます。
果たして、扁桃体が遺跡の「飛び出ている目」と関係しているのか。それは分かりませんけど、情報は提示しておくのでご想像にお任せ致します(笑)
また、松果体についてですが、この遺跡の耳がじつは蝶形骨を表しているというのはとても納得できました。
「松果体」は「松ボックリ」として表現され、このマツボックリは様々なシンボルとして見受けられるものです。
バチカン、アヌンナキ、古代ギリシャヘルメスの杖、ツタンカーメンの杖、ホルスの目なんかにも!
とくにホルスの目は興味深いですよ。
ホルスの目は、エジプト式分数で第六感を表すのだそう。下の画像はピラミッドの図なのですが、ピラミッドは松果体をイメージして作られたとも言われています。
蝶々なども海外のイルミナティーセレブがシンボルとして使っているのをよくみますが、「マツボックリ」もまた同様に古代から支配者のシンボルなのでした。
また、松果体はスピリチュアル界隈で「第三の目・サードアイ」として知られています。
仙骨→蝶形骨を振動させることで、松果体を目覚めさせるのだとか。
「松果体 覚醒」で検索すると、あやしげなサードアイ覚醒の新作記事がわんさか上位にあがってきます。ちょっとびっくりしました。ちょっと前まではこんなにはありませんでした。一体、誰がインフルエンサーとなって広めてるんでしょうか?
とりあえず、彼らスピリチュアリストによれば、どうやら根拠はヒンズー教のチャクラの原理だとかにあるようです。
ヒンズー教の経典であるタントラの中やヨガの世界、後期仏教の世界でチャクラと呼ばれている人体に7ヶ所ある気の通り道のうち「第6チャクラ」の場所が松果体の位置に相応しています。
この第6チャクラはサンスクリット語で「知覚する」という意味の「アジナ」を付けてアジナチャクラとも呼ばれており、真実を見極める力、見通す力、予知する力を司ると言われています。
「千里眼」と呼ばれるものも松果体のことを指していますし、「第六感」と呼ばれるものの源も松果体にあると考えられています。
現代人は松果体が“石灰化”しているのだそう。
実際に松果体が石灰化することがあるそうですが、もし病院で石灰化しているのが見つかれば検査しなければいけません。
松果体が石灰化してるよ!→治せるよ!→ケイ素がいいよ!
の流れでケイ素を売りつける新手の詐欺もありますので、ご注意ください。
ヒンズー教はバリバリの悪魔崇拝です。ヨガは逆に腰を痛めてしまうとも言われているのでお勧めしません。スピリチュアルにおける悪魔崇拝については、過去記事を参照してください。
スピリチュアルの嘘①!日本のスピリチュアルブームの裏側とは。
ヒンズー教の前身となる宗教はバラモン教ですが、バラモン教はインドの半島にアーリア人がやってきて広めたものでした。
紀元前2000年頃にアリーア人がインド北西部へやってきて、紀元前1500年前には教典「ヴェーダ」を完成させ、バラモン教を広めました。
それらヴェーダやバラモン教が基盤となってヒンズー教が誕生し、仏教が誕生したのでした。ちなみにゾロアスター教もアーリア人の宗教です。
三星堆遺跡を築いた古蜀の人間も、蝶形骨がこういった神秘思想と結びつくことを知っていたに違いありません。
青銅神樹が意味するものとは。
画像参照元:Wikipedia
こちらは「青銅神樹」と呼ばれるものです。
これをみたとき、「カバラっぽいな〜」と思ったのですが、やはりカバラという解釈で辻褄が合います。
答えは簡単。
いつも入れとるこれ
参考までに、いつものように、「どん爺の須弥山図」を入れとくね。クリックで拡大できるよ。(リンク先は、「どん爺の曼荼羅」だよ。)
からクリックして行ったページの、これや。
「巨大神樹」の、枝分かれして
鳥が乗っとるんは、「各チャクラ」や。柱(樹)は、「スシュムナー・ナディ」や。
龍は、一柱しか無いようやけど、「イダー」若しくは「ピンガラ・ナディ」や。若しくは、両方を一体の龍で表現しとるか、一体の龍が紛失しとるか。
この「神樹」の天辺にはもう一羽の鳥がいた筈だと言われとるが、
それが、角状、三日月状、鳥の羽を広げた形、蝶の羽の
形の様な「オーラ」(アストラル体か?)を象徴。の部分やね。この人体内部の霊的構造部、(須弥山?)
「心御柱」こそ、「巨大神樹」が暗喩しとるんや。これが、答え:A
あは! 答え:B もあるんよね~
答え:Bはこれや。
「カッバーラ・カバラ」や。
「巨大神樹」は「扶桑の樹」か? とも言われる。
それに、「巨大神樹」は三段の節がある。これがポイント。つまり、「巨大神樹」は、「生命の樹」や。
と、2つの答えを出したが、
オイラがいつも言っとること、覚えてる?
「人体内部のエネルギー器官」は、「生命の樹(カバラ)」かも。って。
はい、おそらく、答え:A≒答え:Bや。
こう言うこと。
これは『謎は解けた! [出雲の雲太]編 鬼の92話-2』の
記事を書いた時に作ったものを引き出してきたのだ。
これにて『三星堆遺跡の謎』、一応終わります。 チョーン!http://blog.livedoor.jp/nakinishimoarazu2012/archives/8400401.html
このように神樹は、「スシュムナー・ナディ」やカバラの「生命の樹」とも受け取れるようです。
まず、カバラとはなんでしょうか。
伝説では、アブラハムがメルキゼデクから伝授された天界の秘密だとも、モーセが律法(トーラー)に記し切れなかった部分を口伝として後世に伝えたものだともいう。しかし、3世紀から6世紀頃に始まり、16世紀頃にほぼ現在の体系が完成したとされる。
カバラは大きくユダヤ・カバラとクリスチャン・カバラに分類される。前者が本来のカバラであり、ユダヤ教徒が旧約聖書の解釈に用いるものである。後者はユダヤ・カバラをキリスト教に応用するために考えられたが、後に近代西洋魔術の理論的根拠にされた。クリスチャン・カバラは生命の樹の活用を中心に成り立っている。
出典:Wikipedia
ひとことでいえば「ユダヤ神秘思想」です。Wikipediaにもあるとおり、後年に魔術の根拠にされました。根拠とするからには、やはりそれなりの理由があったからです。
実際、魔術師は自覚を持ってサタンから霊感だとか指令を受け取るわけで、そのために必要となるのが生命の樹で根拠の一部となるのですから、カバラは悪魔とつながるツールのひとつなのです。
太古から悪魔崇拝者は、勤勉で善良なユダヤ人に混ざって悪魔崇拝をし、悪魔崇拝をユダヤ人たちにすすめて広めてきました。
サタンにとっては一石二鳥です。なぜなら、ユダヤ人に偶像崇拝させることでサタンの信者を増やすことができるし、神の民を名乗るユダヤ人を誘惑したとなれば神の名を汚すこともできるからです。
カバラはサタンが人間に与えた知恵です。
神様のものではないのですね。だから何の意味もありません。
まとめ
古代人は何千キロも離れたところで発展してきたはずなのに、根幹にある思想はある意味で一貫しているのでした。
場所も遠いし、人種も違うにも関わらず。
つまり、出発点は同じだったということです。出発は先史時代まで遡ることでしょう。
そしてそれら悪魔崇拝者によるサタンからの知恵や知識、シンボルは、今でもイルミナティーだとか上級国民のみなさまに受け継がれているのです。