宮沢賢治という人物を解説。クラムボンの正体とは?銀河鉄道の夜のなぞとは?国柱会に所属していた?

「やまなし」は宮沢賢治の代表作のひとつとも言える作品ですが、この作品には謎が多く、人によって解釈もさまざまです。これから述べていく「やまなし」に対するわたしの解釈も、そのひとつとして捉えてもらって構いません。

「やまなし」は長らく教科書の題材としても親しまれてきた作品です。わたしも小学生のときにこれを読み、ただただ不思議に思っていた記憶があります。ですがそんな記憶があるだけで、特に「やまなし」には何の思い入れもありません。

しかし、個人的に古代史や宗教や歴史を調べるうちに『「やまなし」のクラムボンの名前に似ているな〜』と思うものがありました。それが宮沢賢治についての記事をアップするきっかけとなりました。

さて、クラムボンの正体とは何なのでしょうか。また、宮沢賢治は何を考え、何を信じていたのでしょうか。その全てを知ることはできなくとも、一部くらいは知ることができるはずです。

ということで!宮沢賢治、その謎の人物像に迫っていきましょう。

宮沢賢治は神秘主義者?

賢治の神秘思想

まず「クラムボン」が何なのか述べる前に。

宮沢賢治の生前の暮らしはどんな風だったのでしょうか。また、何を考えて何を思っていたのでしょうか。「クラムボン」の正体を浮かび上がらせるためにも、その賢治の思想の根幹を知る必要があります。

賢治は岩手県の裕福な家庭に生まれました。というのも、両親が金貸しで質屋を営んでいたためです。

なんだか貧乏なイメージを抱きがちですが、そうではないのですね。「銀河鉄道の夜」の主人公であるジョバンニは貧乏な家柄で、賢治はそんな貧乏なクラスメイトに共感していたのかもしれませんが、銀河鉄道の夜が誕生したきっかけとなったのは北上川で起きた子供の溺死事故だとも言われています。

父親は浄土真宗なのですが、賢治はのちに法華経に惹かれ、のちに父親と宗教で争うようになります。

賢治はおそらく法華経だけ信じていたわけではありませんでした。

その当時、浄土真宗を真言密教に取り込もうとする動きもあったようで、賢治は真言宗の影響も受けていたと考える人もいます(以下の引用元を参照)。また、インドの神秘思想にも深く入り込んでいました。

「銀河鉄道の夜」に、アスパラガスとケールが登場するのですが、これはそれぞれ「大日如来」と「阿弥陀如来」を意味していると書かれている論文がありました。

この書の書名に記載されている「五輪」とは,イン ド思想の宇宙(あらゆる世界)を構成する「地・水・火・風・空」を表す「五大」のことで,種子(しゅじ)では,真言宗の本尊である「大日如来」の五字の「真言」 (仏の言葉)を意味する「ア・バ・ラ・カ・キャ」(サ ンスクリット語 a va ra ha kha の音写),形としては「団形・半月形・三角形・円形・方形」,色では「青・ 黒・赤・白・黄」を表している(本多,1991 ; 中村ら, 2012)。

「真言」は「音」が重要であることから,翻訳 せず「音写」を用いる。「大日如来」は,実在したと される人間仏陀(ゴータマ・シッダッタ)のような姿 や形を持たないが,永遠不滅の絶対的真理(「五大」) そのものを身体に持つとされる。また,「九字」は浄 土宗の本尊である「阿弥陀如来」の「真言」である「オ ン・ア・ミリ・タ・テイ・セイ・カ・ラ・ウン」(サ ンスクリット語 om arta-teje hara hum の音写)であ る。

では「アスパラガス」と「ケール」は,具体的に宗 教の融合とどのように関係するのであろうか。多分, それぞれの植物名を読み上げる「音」と真言宗の本尊 である「大日如来」や浄土教の本尊である「阿弥陀如来」 のそれぞれの「真言」の「音」が類似するからだと思 う。多分,賢治は,それぞれの真言「ア・バ・ラ・カ・ キャ」や「オン・ア・ミリ・タ・テイ・セイ・カ・ラ・ ウン」から植物である「アスパラガス」や「ハゴロモ カンラン(羽衣甘藍)=ケール」をイメージして物語 に取り入れたのであろう。すなわち,『銀河鉄道の夜』 で登場する「アスパラガス」と「ケール」は,それぞ れ「大日如来」と「阿弥陀如来」の三昧耶行(象徴物) と見做されている(仏教でいうところの「阿吽」との 関係もあるかもしれないここでは触れない)。

http://www.jsppr.jp/academic_journal/pdf/Vol15.No2_P19-22.pdf

このように、賢治は信仰している神に【似た音の物】を物語のなかに取り込む傾向があったと思われます。

そのため、クラムボンも例外ではないわけです。

では、賢治の思想の根幹にあったものとは何だったのか。

結論からいうと、それは大まかに「神秘思想」でした。

賢治が「神秘思想」をもつ「神秘主義者」だったかどうか、それは分かりません。

ですが、賢治の作品をあるていどざっと見るだけでも、今のスピリチュアルの根源である「ニューエイジ」のさらに根源、インドの半島で誕生した「ゾロアスター 教」やら「ヒンズー教」やら「仏教」やら「チベット密教」やらの、スピリチュアルの前身ともいえるものに深く潜っていたことは確かなようです。

「神秘思想」をもつ「神秘主義者」は、wikiでは以下のように定義されています。

神秘主義(しんぴしゅぎ、: mysticism)とは、絶対者、最高実在、宇宙の究極的根拠などとされる存在)を、その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする立場のことである[1][2]

ここでまた「銀河鉄道の夜」に触れますが、「銀河鉄道の夜」は未完成の作品で、原稿の通し番号も振られていません。それゆえに解釈も難しいとされているらしいです。

この物語のなかには、灯りの灯る町を「人魚の街」と比喩する一文があります。

ここに、賢治の思想と、神秘主義者の思想(自己の内面と宇宙を一体化しようと体験する思想)に重なる部分があることに気づきます。

かつて「銀河鉄道の夜」の中に「人魚」という言葉を見た記憶があり数種の『宮沢賢治語彙辞典』に当たったが、立項されてない。それは次の文中にある。

空気は澄みきつて、まるで水のやうに通りや店の中を流れてゐました し、街灯はみなまつ青なもみや楢の枝で包まれ、電気会社の前の六本 のプラタナスの木などは、中に沢山の豆電球がついて、ほんたうにそこ らは人魚の都のやうに見えるのでした。(4ケンタウルス祭の夜)

(中略)賢治は此岸と彼岸をこことあそことして描いたのではなく、ここはあそ こであり、此岸は彼岸に通じている。だからこそ街は「人魚の都」になり、 目前の川が「銀河」を「写」す「水のないそのままのそら」になる。「銀 河鉄道の夜」は内心への旅なのだ。

https://www.city.joetsu.niigata.jp/uploaded/attachment/113870.pdf

内心への旅、これまたスピリチュアル臭のする表現です。(※スピリチュアルは悪魔崇拝です。くわしくはこちらこちら。)

「銀河鉄道の夜」は“天の川”を重視している作品であり、「賢治は宇宙が好きだったのだ」と単純に考えることもできます。

だれしもが神秘を感じる宇宙とはいえ、賢治はただ神秘的に感じているだけではありませんでした。れっきとした神秘思想のもと作品を書いていたのです。

賢治の文学作品に顕現されている「インド・仏教的思想」、つまり生き物への慈悲と同情、不殺生と非暴力主義、輪廻転生、自己犠牲の精神及び菜食主義などの観念はどんなものか、インド人の観点から調べ、解釈するとともの賢治思想の東洋的特性を強調することが、本稿のねらいである。賢治の思想と彼の人格を形成した主な外力として、彼の生まれ育った家の環境、宗教とりわけ、法華経から受けた霊感、教育と自然の観察によって取得した啓蒙的知識、貧しい県民への同情などが取り上げられる。本稿の前半で賢治の思想と人格を形成したこれらの外力についてふれ、その次に「よだかの星」という作品を中心に賢治作品に顕在している「非暴力」「慈悲」及び「自己犠牲の精神」の思想を考察した。最後に、「ビヂテリアン大祭」という作品を基に、賢治の菜食主義の思想の裏に潜む仏教的観念とインドにおける菜食主義との関連性を論じ、賢治作品の顕現しているインド・仏教的思想を究明した。

https://www.google.co.jp/amp/s/ci.nii.ac.jp/naid/120005681509/amp/ja

このように、賢治が神秘思想であるのは研究者の間では常識なのでした。

神秘思想とドルイド教。ケルト神話と日本神話。

「神秘思想」は何千年も前から存在していました。

前500年頃いたとされるピタゴラス教団などは神秘主義の典型だったそうですが、ピタゴラス教団には「ドルイド教」の神官(祭司であり政治指導者でもあり身分が高く高度な知識があった)が交じっていた可能性があり、その「ドルイド教」は「古代ケルト人」が拝んでいた宗教でした。

そのケルト人による「ドルイド教」ですが、古代ケルト神話と日本神話は似ているとよく言われます。

特に類似性が在ると思われる話に、1.浦島太郎の話とケルト神話の「フェヴァルの息子ブランの航海」2.イザナキ命が黄泉の国からの脱出時に対処した3種の物を投げて黄泉の国の兵隊を防いだ呪術的逃走神話とケルト神話の「なにもなんにもなし」の中の投げる物が殆ど同じ物だった事、3.大国主命がスサノヲ命の元から逃走する話の内容がケルト神話の「ジャックと豆の木」と似ている。4.日本の妖怪にカッパがいたが、其れは北欧の川の神と同じ発想から生まれた物と思われる。5.その他の話でも一部似ている物語が多々存在している。以上の事から縄文人が伝承した物語が北欧やアイルランド地方の物語に多くの類似点があり、縄文人がその辺りから日本列島にやって来たと思われたのだ。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=176472

連日、シュメール と日本についての記事を出していました。

倭人の正体とは?倭人と姫氏と東夷とユダヤ人のつながり。【古代シュメール国家の行方④】

実存した!日本の古代王朝編。【古代シュメール王国の行方③】

中央アジア・古代中国編。【古代シュメール国家の行方②】

シュメール・ユダヤ・日本を結ぶ、驚きの繋がりとは?【古代シュメール国家の行方①】

その記事で考察していたこと踏まえて考えれば、ムー大陸とアトランティス大陸から逃れてきた悪魔崇拝の上級国民らは『日本』と『イギリス』という小さな島国を拠点に(日本はまだ寒過ぎたので最終的な拠点とし)、互いに干渉し合い国民にまで悪魔崇拝をさせつつ発展してきたのでしょうね。こうやって政教分離とは程遠い、政治と宗教がガチガチに協力しあう国家を作り上げていき、今に至るというわけです。

日本会議と「生長の家」、世間が知らない本当の関係 『島田裕巳』

賢治は宗教団体「国柱会」に所属?

国柱会とは。

賢治は「国柱会」という怪しげな日蓮を拝む宗教団体に入信していた時期がありました。

しかし、それは初期だけのようです。※参照

参照記事によれば、賢治はその宗教団体に幻滅したようで、その後は独自で法華経を追求したとありますが、まぁこれが事実であるかどうかは不明です。

ただ、これだけは言えます。

宮沢賢治は明らかに“イルミナティー”側の人間でした。

なぜなら、賢治の所属していたであろう「国柱会」には日蓮系の宗教団体のなかでもエリート揃いであったからです。そのエリートらは“宗教の統一”という如何にもイルミナティー的なワンワールド思想のもとに集まった人々だったのでした。

それだけではなく、賢治はイルミナティーの言語であるエスペラント語運動に加わっていました。

『日本エスペラント運動人名事典』
 
さらにこのリンクには、「エスペラント」を使っていた人物として、
 
「秋田雨雀、安部公房、井上ひさし、伊波普猷、梅棹忠夫、江上不二夫、大杉栄、丘浅次郎、黒板勝美、瑛九、江上不二夫、エロシェンコ、大石和三郎、尾崎行雄、小田切秀雄、川喜田二郎、北一輝、木村荘太、久保貞次郎、栗栖継、小林司、小林英夫、堺利彦、佐々木喜善、佐々木孝丸、ザメンホフ、柴山全慶、周作人、新村出、関口存男、高木仁三郎、高杉一郎、高見順、出口王仁三郎、土井晩翠、土岐善麿、徳冨蘆花、中村精男、西成甫、新渡戸稲造、H. E. パーマー、巴金、長谷川テル、比嘉春潮、二葉亭四迷、宮城音弥、宮沢賢治、八木日出雄、柳田國男、吉野作造、ラムステット、魯迅、芥川龍之介、暁烏敏、東龍太郎、石川三四郎、内村鑑三、梶山季之、神近市子、木下順二、黒岩涙香、高良とみ、小松左京、西光万吉、佐藤春夫、更科源蔵、沢柳政太郎、島木健作、下中弥三郎、芹沢光治良、相馬黒光、高橋和巳、高見順、高村光太郎、立原道造、田中館愛橘、田辺茂一、都留重人、鶴見祐輔、手塚治虫、徳川家達、中野重治、野上弥生子、野間宏、長谷川如是閑、羽仁五郎、福田赳夫、星新一、穂積陳重、正木ひろし、宮沢俊義、宮本百合子、武者小路実篤、矢内原忠雄、山川菊栄、山川均、山田耕筰、湯川秀樹……」
 
といった名前が挙げられています。
 
そして、この中には「出口王仁三郎」の名前まで入っています。(「内村鑑三」とか「芥川龍之介」とか「手塚治虫」といった人の名前もあります。実は彼らもフリーメーソンだったのかも知れません。)
 
これまで何度も書いてきましたように、「出口王仁三郎」は「満州国」の建国を提唱し、かつ全世界を征服して一つの宗教国家をつくることを目標としていました。

イルミナティー、その言葉を聞くだけで、

『でた、イルミナティー 』『陰謀論信者の常套句』『胡散臭い』

と、言う人もいるかと思います。

しかし、そう思うのは「イルミナティー」の言葉についてまわるイメージがあまりに空想的で幻想的になり過ぎたのも原因のひとつではないでしょうか。そう思うなら自分で調べるといいのです。調べれば調べるほど、そのイルミナティーあるいは上級国民の知りたくもない裏側を知るようになり、そのあまりにうざ過ぎる存在が浮き彫りになることでしょう。ただ、惑わせようとする工作員もいますのでそれには注意が必要ですが…。

とにかくこの「国柱会」は、エリート主義と目されるほどだったそうで、イルミナティーの巣窟だったようです。

教学における国柱会の功績は、現在でも「師子王文庫」や「真世界社」などに引き継がれている。分派した各法華宗・日蓮宗宗派の統一、更には法華一乗のもと全宗派、全宗教の統一(一天四海皆帰妙法)のための宗教革命、ならびに皇祖皇宗の日本国体を法華経のもとに体系化することを究極の目標としている。(中略)

また、宮沢賢治と同じく著名な会員であった帝国陸軍石原莞爾中将の「東亜連盟」構想や「世界最終戦論」、更には石原が参謀であった満州国建国の思想的バックボーンとして、国柱会の思想は多大な影響を及ぼした。特に満州国には皇軍慰安隊を国柱会より派遣し、関東軍軍人を支援している。この時期が国柱会の歴史上もっとも活況だった時代であり、日蓮系諸教団の中でもエリート主義集団と目されるほど、有数な著名人が会員であったことで知られる。

その他、伊勢丹の創業者である小管丹治、近衛文麿のの父親で華族であり政治家だった近衛篤麿、詩人の北原白秋の夫人である菊子(白秋自身も智学から強い影響を受けたという)、思想家で文芸評論家の高山樗牛、日本医師会の会長を長く務めた武見太郎など、そうそうたるメンバーが入会していました。

なんだか急に禍々しい話になって困惑している人もいるかもしれません。

しかし、賢治の周囲には、石原莞爾のような天皇中心の世界をつくろうと画策していた人物たちが沸いていたのは確かなことです。賢治もまた、そのワンワールド的思想を熱く支持していた信徒のひとりだったのです。

天皇ワンワールド計画を遂行した、国柱会と大本教。

また、この団体は「田中智学」によって結成されました。

戦前、日本では「日蓮ブーム」があったようなのですが、その発端となった人物こそが「田中智学」だったのです。

「田中智学」は知らない人も多いかと思いますが、その「田中智学」と、戦前の「日蓮ブーム」の核にあった「天皇中心」の思想について言及している本もあるようです。

知っている人は知っている、という感じなのですね。

こちらの本のプレビューは以下のような感じでした。

八紘一宇の言葉の元となった戦前の日蓮ブームを追う。

 田中智学を起点とした日蓮ムーブメント。そこには宮沢賢治や石原莞爾など名だたる人々がいた。その頃の日蓮思想は天皇を中心とした世界統一を描いていて、それが神道や戦中の日本思想へとつながっていく。さらに戦後には創価学会などの新宗教となって社会にに影響を与えていく。

 なぜこの思想が戦争へと突き進む日本の中心になったのかをもっと知りたかったが、この本の内容だけでもかなり貴重だ。

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(中略)国柱会には、石原莞爾、宮沢賢治が入会していました。
この2人にとっても、日蓮への思いは実存を懸けた熱いものだったことが見て取れます。
賢治作品も満洲建国も、彼らの信仰と深い関係がある。「雨ニモマケズ」の最後の7行は省かれることも多いようですが、法華宗のお題目を中心に6つの仏を配置した「本尊曼荼羅」(いわば文字による曼荼羅図)であると本書は説明します。

(註:実際の「アメニモマケズ」の最後には「南無無辺行菩薩・南無上行菩薩・南無多宝如来・南無妙法蓮華経・南無釈迦牟尼仏・南無浄行菩薩・南無安立行菩薩」があります)

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短い文章の中に重要な語句がたくさんありますが、ひとつずつ見ていきましょう。

八紘一宇

まず「八紘一宇」です。

「八紘一宇」といえば、「三原じゅん子」議員の八紘一宇発言が問題となりましたね。

なんでも自民党の「三原じゅん子」が、国会の予算委員会で「八紘一宇」は「日本が建国以来、大切にしてきた価値観だ」と主張したとのことで、マスコミがこぞって大バッシングを始めました。
 
政治家の劣化を象徴するような三原じゅん子参院議員の愚劣な国会質問
 
「八紘一宇」とは「天皇の下で世界を一つの家にする」というスローガンです。まさに天皇中心のNWOのための恐ろしいスローガンです。
 
そんな恐ろしいスローガンを、何を勘違いしたか、「三原じゅん子」が日本国民みんなが大切に守らなければいけない価値観だと国会の場で主張したわけです。
 
もしかしたら「天皇派」の連中が、彼女を使って「八紘一宇」というスローガンを再び日本に広めようとしたのではないでしょうか。「三原じゅん子」が言えば、国民も納得してくれるとでも思ったのかも知れません。

「生長の家」の教祖である谷口雅春の隠し子ではないかと言われている「稲田朋美」ですが、彼女もまた「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」だと発言し、一部で問題になっていました。

いずれにしろ、彼女たちもまた上級国民であるがゆえ、この日本を天皇中心にするべく躍進しているわけです。

いかにガチガチの天皇主義か分かっていただけたでしょうか。他の議員も表に出さないだけで、頭の中にはしっかりと明治時代の天皇中心思想が植え付けられているに違いありません。

『爆弾を抱いて、そのまま敵のトーチカに跳び込め!』これに対して、軍人はただ『ハイ』と答えて跳び込むのである。宗教の修行においては、たとひ教祖の命令通り跳び込まなくとも、『修行が足りない、まだ心境がそこまで達していない』位で許されるだけに、それは修行の『型』をやっているだけである。また、その命令者が教祖という個人である。

しかし戦争においては否応はない、言葉通り肉体の生命が放棄せられる。そして軍隊の命令者は天皇であって、肉体の放棄と共に天皇の大御命令に帰一するのである。

肉体の無と、大生命への帰一とが、同時に完全融合して行われるところの最高の宗教的行事が戦争なのである。戦争が地上に時として出て来るのは地上に生れた霊魂進化の一過程として、それが戦地に赴くべき勇士たちにとっては耐え得られるところの最高の宗教的行事であるからだと観じられる。

引用元:http://sei4ch1ou.seesaa.net/article/421281552.html

天皇の御用宗教

このプレビューにもある通り、「国柱会」の思想は「創価学会」にも受け継がれているようです。

であれば、「創価学会」が現天皇家と密接に関わっているのも納得です。いま現時点でこのような繋がりがあるのは、明治からの流れを汲んだものだったからなのでした。

雅子皇后の周辺には創価が蠢いています。

というか、雅子皇后自身が創価学会員なのでしょうね。

現在の皇太子妃「雅子」様は創価学会員です。彼女のお父様はもともと外務省の「大鳳会」のメンバーで、「大鳳会」とは創価学会のメンバーのこと。また、雅子様の妹の礼子様は池田祐久という創価学会員と結婚されていますので、この小和田家一族が創価学会員であるか、創価学会と深い関わりがあることは明白です。
 
つまり、皇太子妃である雅子様もまた創価学会員である可能性が非常に高いわけです。というか、この世のほとんどの創価学会員が、まともな信仰心をお持ちでなくても、創価学会員と称していらっしゃいますので、雅子様が厚い信仰心をお持ちであろうとなかろうと、その素性からして創価学会員であると断定してもあながち間違いにはならないでしょう。(詳しくは以下のリンクをご参照ください。)
 
ベネッセ・ユニセフ・外務省・皇室・創価学会との奇妙なつながり。この日本はごく一握りの人間によって支配されている。

天皇中心のワンワールドのために、イルミナティー が本格的に動き出したのはいつなのか…。

おそらくそれは「明治維新」が機となったのかもしれません。

明治維新で「田布施一味」が天皇家に入り込んだ時から、そして、朝鮮半島から「李氏朝鮮の末裔」が日本へ来て天皇家に入り込んだときから、その「天皇中心のワンワールド計画」は動き出したとも考えられます。

その計画に合わせるかのように、明治時代の後期〜大正時代にかけては「国柱会」や「大本教」が本格的に動き出しました。

それぞれの宗教における大義名分を果たすように見せかけ、その実、天皇のワンワールド計画の一部を遂行していたに過ぎなかったのです。

その証拠として「大本教」の出口王仁三郎は天皇家の人間でした。

一方で田中智学、本名は巴之助(ともえのすけ)は何者だったかのでしょうか。Wikipediaをみても、家柄や経歴にこれといったものは無く、詳しくは分かりませんでした。

満州とユダヤ人とナチスドイツ。

宮沢賢治は学生の頃からドイツ語に興味があり、ドイツについても学んでいました。

「銀河鉄道の夜」に登場する「ケンタウル祭」はドイツと関連があります。

以下は論文の抄録です。

宮沢賢治の作品のなかでも最も有名なものの一つである「銀河鉄道の夜」の物語のなかに「ケンタウル祭」という不思議な名前の祭りが登場する。物語の中心が星座をめぐる夢の旅であるため、この名はケンタウルス星座に因むものと考えられてきた。

しかしこの名は賢治の若き日の短歌が初出であり、その内容や時期から星座には関係なく、ギリシャ神話の半人半馬の怪物ケンタウロスのドイツ語ケンタウルスをそのまま祭の名に用いたものであることがわかった。

この時期、賢治は盛岡高等農林学校で馬の飼育管理とドイツ語を学んでおり、ちゃぐちゃぐ馬ッこをはじめとする馬産地岩手の人と馬との祭から発想したのである。また、キメラに関心があった賢治は人間の上半身と馬体の下半身をもつケンタウルを、理性と本能的欲望との葛藤に悩む自分になぞらえた。

岩手と同じく、馬を祝福することで春の農耕の始まりに豊饒を祈るドイツにもある民俗を賢治はおそらく学び、若い男性としての高揚感をケンタウル祭と表したのである。のちに少年のための物語「銀河鉄道の夜」にこの名の祭を組み込むが、静謐な物語にはなじまず、結局は、削除されたり「銀河の祭」や「星祭」という名が加えられて、ケンタウル祭のイメージは希薄になってゆくのであった。

https://ci.nii.ac.jp/naid/110008753990

とはいえ、ドイツだけではなく、やはり密教も関係していました。

そこでこのケンタウル祭だが、作品では次のような祭だと言っている。

この祭は星祭であり、銀河の祭である。町の家々では一位の葉の玉を吊したり檜の枝に明かりを付けたりしている。その様はクリスマスツリーのようで、沢山の豆電燈がまるで千の蛍でも集ったようでもある。

そして、こどもらは折り目のついた新しい着物を着て星めぐりの口笛を吹いたり、「ケンタウル露をふらせ」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したりして遊ぶのだと云う。さらには、こどもらは青いあかりのついた烏瓜をめいめいが川へ流す『烏瓜ながし』をするという祭である。

【Fig.20 烏瓜の実】(平成20年9月4日撮影)

このようなケンタウル祭そのものが世界のどこかにあるということは私は知らないが、賢治は星祭だと言っているから『宙の名前』(林 完次著、光琳社出版)によって星祭を調べてみると、

星祭り密教で招福、厄除けのために、当人の青年にあたる本命星と当年星を祭り供養するもので、星供(ほしく)ともいいます。また、七夕祭りをさすこともあります。

とあったから、七夕祭りを賢治らしくアレンジしたものが”ケンタウル祭”なのではなかろうか。そして、それはケンタウルの村で行われると賢治は設定したのだ。

七夕祭りには、神功皇后時代の朝鮮半島の流れが関係しているとわたしは見ていますが、このはなしはまた別の機会に。

また、銀河鉄道の夜にはアラブ人らしき人間も登場します。

賢治は,『銀河鉄道の夜』の天上世界に十字架と一緒 にキリスト教徒と思われる青年と姉弟を登場させたり, 賛美歌を聞かせたりして「カソリック風」のキリスト 教圏の世界を表現したのと同様に,地上世界を「アラ ビア風」にしたくて,ジョバンニの家(あるいは活版 所)もイスラム教圏の住居のイメージにした。
例えば,『銀河鉄道の夜』第三次稿では,ジョバン ニが天上世界で最初に列車に乗り込んだとき,車内に は「ほんの六七人の,アラビア風のゆるい着物を着た 人たちが,眼鏡を直したり,何か本を読んだり(下線 は著者)」という解説があったり,キリスト教徒らし き女の子に「アラビアンナイト」の話をさせたりして いる。これらは,第四次稿では削除されるが,そのか わり,地上世界の「活版所」で「だぶだぶの白いシャツ」 の人や「きれで頭をしばったりラムプシェードをかけ たりした人たちが,何か歌ふやうに読んだり数へたり しながらたくさん働いて居(お)りました」というよ うに,「アラビア風」という文字を消してはいるが「ア ラビア風」の雰囲気を残した文章を第三次稿の文書を 修正しながら新たに加えている。

家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲ってある 大きな活版処にはひってすぐ入口の計算台に居た だぶだぶの白いシャツを着た人におじぎをして ジョバンニは靴をぬいで上りますと,突き当りの 大きな扉をあけました。中にはまだ昼なのに電燈 がついてたくさんの輪転器がばたりばたりとまは り,きれで頭をしばったりラムプシェードをかけ たりした人たちが,何か歌ふやうに読んだり数へ たりしながらたくさん働いて居(お)りました。ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子 (テーブル)に座った人の所へ行っておじぎをしました。 (二,「活版所」)

上記引用文の「だぶだぶの白いシャツ」は,多分ア ラブ人の男性が着る「トーブ “thobe”」という白い服 をイメージさせるものであろう。また,「きれで頭を しばったりラムプシェードをかけたり」とあるのは「アラビアンナイト」の「アラジンと魔法のランプ」 に登場する人たちの被る帽子をイメージできるが,こ れも前者は布で頭を巻く「ターバン」を,また後者 の「ランプシェード」はアラブ人などの男性が頭に被 る装身具の「クーフィーヤ」(正方形の布を巻いた上 にイカールと呼ばれる山羊の毛で作った輪をはめたも の)か,あるいは小さな皿状の形をした「ターキーヤ “Taqiyah”」をイメージしたものかもしれない。また, ジョバンニがアルバイトをしている活版所でも中に入 るには靴を脱ぐ。家に入るときに「靴を脱ぐ」習慣は イスラム教圏の住居でも同じである。

『銀河鉄道の夜』の第二章と三章には,「三つ曲がって」,「三番目」 , 「三つならんだ一番左側」,「三時」というふうに「三番目」を強調する数字が頻出する。 この「三番目」は,「アラビア風」ということもあり「イスラム教」を示唆しているのかもしれない。世界中に広く信者を持つ「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」は聖書の預言者アブラハムの宗教的伝統を受け 継ぐ「姉妹宗教」と呼ばれ,その奉ずる神は同一である。これら三つの宗教のうち「イスラム教」は歴史的には最も新しい(三番目)宗教である。

とりあえず、「ドイツ」「ユダヤ」のキーワードが宮沢賢治にはあるわけです。

おそらく、このキーワードは偶然ではありません。

宮沢賢治は明治〜大正時代を生きた人物ですが、ちょうどその頃、帝国陸軍の石原莞爾が満州事変を起こして満州を占拠したり、ユダヤ人をひそかに満州に移そうとする「河豚(ふぐ)計画」が水面下で動いていたり(日本軍ではなく出口王仁三郎が主導)、ドイツのナチ党が活発にユダヤ人迫害をしたり、と激動の時代でした。

ですから、宮沢賢治も石原莞爾と同じ国柱会に入っていたわけだし、知らないほうがおかしいくらいなのです。

ここらへんのカラクリについては以下の記事を読むと分かります。

満州国へのユダヤ人移民計画が失敗し、パレスチナにイスラエルが建国されるまで。または「河豚計画」が声を大にして語られない理由。

ニューエイジと満州と大本教と蝦夷共和国。背後にいるのは同じ一族。

宮沢賢治がやたらと教科書に載るのも、こういった天皇人脈が関係しているのかもしれませんね。

「やまなし」のクラムボン

クラムボンの正体

小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。

一、五月

 二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。

『クラムボンはわらったよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』

『クラムボンは跳ねてわらったよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』

 上の方や横の方は、青くくらく鋼のように見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。

『クラムボンはわらっていたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』

『それならなぜクラムボンはわらったの。』

『知らない。』

 つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のように光って斜めに上の方へのぼって行きました。

 つうと銀のいろの腹をひるがえして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。

『クラムボンは死んだよ。』

『クラムボンは殺されたよ。』

『クラムボンは死んでしまったよ………。』

『殺されたよ。』

『それならなぜ殺された。』

 兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いました。

『わからない。』

 魚がまたツウと戻って下流のほうへ行きました。

『クラムボンはわらったよ。』

『わらった。』

 にわかにパッと明るくなり、日光の黄金は夢のように水の中に降って来ました。

 波から来る光の網が、底の白い磐の上で美しくゆらゆらのびたりちぢんだりしました。泡や小さなごみからはまっすぐな影の棒が、斜めに水の中に並んで立ちました。

 魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるっきりくちゃくちゃにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして、又上流の方へのぼりました。

『お魚はなぜああ行ったり来たりするの。』

 弟の蟹がまぶしそうに眼を動かしながらたずねました。

『何か悪いことをしてるんだよとってるんだよ。』

『とってるの。』

『うん。』

青空文庫

さて、宮沢賢治の思想や生きた時代背景などを説明してきました。

「やまなし」のクラムボンとは一体なんなのでしょう。

「やまなし」は賢治が1921年(25歳)に教師になってから2年後に発表された作品でした。その1年後には、詩集「春と修羅」と童話集「注文の多い料理店」を出版しています。

結論からいうと、このクラムボンの由来には恐らく「ラオス🇱🇦」の建国神話と、「カンボジア🇰🇭」の神話が関係していると思われます。

ラオスの建国神話には帝釈天が登場し、帝釈天はもともとインドラという名前だったのですが、宮沢賢治はわざわざ「インドラの網」という作品を作るほどインドラには思い入れがありそうです。

インドラは、ヒンドゥー教とその前身であるバラモン教、ゾロアスター教の武神とされており、ヒッタイト の条文にも登場する神なのだそうです。

また、カンボジアには蟹が登場する逸話があり、これも関係してそうです。

ラオスの建国神話では帝釈天(インドラ天)の孫クンボロムが天からメコン川に降りてきた。しかし川にはあちこちにナーガ龍がいて暴れていたが、隠者が龍を説得して龍たちはクンボルムを迎えたのである。もっと古い扶南の話だとインドから征服してきた王が土着の女王を娶って国を開いた。この女王はナーギ、つまり雌の龍なのである。カンボジアでは王が毎夜、王国の繁栄のためにナーギと交わるとされている。

またアンコール・ワット文明を生み出したカンボジアには鳥と鰐・蟹が喧嘩をして洪水が起こるとする話がある。ある時、鳶が蟹を馬鹿にして嘴で甲羅に穴を開けた。それが今でも見られる蟹の模様の起源である。怒った蟹は雲の中に隠れている鳶を殺すために、天まで届くほど海を上昇させた。

これは宇宙闘争型洪水説話の典型であるが、同様の事例は東南アジア内陸部に広く見られる。これらの神話では、鳥は乾いた世界と天上界を象徴し、鰐、蟹、蛇などは湿った世界、地下界、あるいは水界を象徴する。そして毎年起こる洪水は天上界と地下界・水界との闘争なのである。

http://www.hikoshima.com/bbs/heike/101427.html

先ほどもあった、阿弥陀如来の真言と大日如来の真言に似ているアスパラガスとケールのように、宮沢賢治は帝釈天の孫であるクンボロムをもとにクラムボンをやまなしに登場させたのではないでしょうか。

そして、なぜ蟹なのかといえば、アンコールワット(もともとはヒンドゥー教寺院だったが今は上座仏教の寺院)のあるカンボジアの洪水の逸話をもとにしたかもしれないのです。

「やまなし」において、蟹でも鳥でもない「クラムボン」の立ち位置はどのようなものか。

インドラの孫の名前をとっているくらいですから、もしかすれば“神”的な立ち位置なのかもしれません。

そして、やまなし。

これの正体も考察できればよかったのですが、力量不足でできませんでした…。

まとめ

いかがだったでしょうか。

みなさんはクラムボンをどのように考察しましたか?

ひとそれぞれでしょうが、わたしは宮沢賢治の宗教観と、名前の由来の傾向をもとに考察してみました。

時代背景だとか、宗教の知識を知るだけでも、見方がだいぶ変わるし、視野もかなり広がるんではないでしょうか。

過激な内容だったかも分かりませんが(笑)、学校では学べないようなことを記事にできたかと思います。

 

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