【鉄コン筋クリート】背景に隠された意味を解説。

『鉄コン筋クリート』は1993年から1994年にかけ『ビッグコミックスピリッツ』にて連載された松本大洋による漫画作品。2006年に劇場アニメ化。

鉄コン筋クリートのアニメ映画をみて「おもしろくて印象深かったけど何を伝えたいのか分からない」…そう感じている人も少なくないのでは?

この作品が難解だと言われるのは、宗教、金、暴力とヤクザ、謎の組織、といった要素が濃く織り交ぜられ「世の中の縮図」として抽象的に纏めあげられているからに他ならない。

つまりそれらの要素ひとつひとつと繋がりを理解しなければ到底理解することはできないのだ。

ということで、わたしの理解が及ぶ範囲ではあるものの解説していきたいと思う。

映画ではないが、漫画は全部で3巻ある。

これから説明する「筋クリ」に隠されたあらゆるシグナルを実際にみて読み解きたい人だとか、考察厨にはオススメだ。

U-NEXTにあるようなので、手軽に読んでみたい人など如何だろうか。

 

登場人物

まずは、舞台となる町と、とくに重要な登場人物を紹介していこう。

※ネタバレ注意

【宝町】舞台は宝町という一見すると趣のある町だが実際は“地獄の町”だ。義理と人情とヤクザと〈ネコ〉の地獄の町。

⬇️【クロ・シロ】主人公は宝町3丁目に住む〈ネコ〉と呼ばれる2人の少年。町を飛び交い生きている。町の人々からは「道徳を知らず血を好むガキ。」と言われている。左がクロで、右がシロ。

⬇️【源六(じっちゃ)】ホームレス。シロとクロが懐いており「じっちゃ」と呼ばれている。クロとシロをよく諭している。

⬇️【大精神会】宝町を仕切っているヤクザ。左は通称〈ネズミ〉と呼ばれている鈴木という男で、右がヤクザの子分である木村。のちに木村はクロに半殺しにされ、蛇と手を組むことになる。

⬇️【蛇】謎の組織に属する男。宝町支店を取り仕切る。日本人ではない様子。

⬇️【殺戮マシーン】名前はない(はず)。蛇に雇われている殺戮だけに特化した人間。

⬇️【イタチ】宝町ではいわゆる都市伝説的な存在。牛の頭の骨を被っている子供。闇の力を持ち、強大な相手であっても一瞬で片付けてしまう。シロのことを「偽りの魂、偽善の代表者」と形容している。正体はクロが創り上げた幻覚でもう1人のクロ。

町並みと世界観

宝町3丁目

鉄コン筋クリートで描かれている町並みはとても独特だ。

昭和の街並みや、昔の中国風な街並みを連想させるが、その建物のひとつひとつに“宗教的要素”が多く見受けられるのがわかる。

鉄コンで取り入れられている宗教は何も日本のものだけではないのだ。そして、特に目につくのは「ヒンドゥー教」的な建物である。

上の画像の、象の頭をした神はヒンズー教の神で「ガネーシャ」と呼ばれる。

このヒンドゥー教的な建物が宝町に多くあるのは、何か意味が隠されているのだろうか。

宝町とヒンドゥー教と、悪魔崇拝。

日本は実に、いろんな宗教がいりまじって“混沌”としている。

しかしヒンドゥー教(ヒンズー教)な建物は見当たらない。それなのに、なぜ宝島町にはヒンドゥー教の建物がこんなにたくさんあるのだろうか。

それは恐らく日本という国が、見た目は「神道・仏教」の国でもその実「ヒンズー教」やら「道教」やらの宗教と繋がっているのだと言いたいのだろう。

そして、実際それはそうだ。

たとえばだ。

こちらのブログ記事(http://rapt-neo.com/?p=24282)を見ていただければわかるように、仏教のヤブユムは蛇の交尾をデザインしたものだし、神道のしめ縄も蛇の交尾を表したものだし、そもそも神道という言葉自体が中国製だし、中国の建国は蛇人間の夫婦から作られていると言われているし(https://artworks-inter.net/ebook/?p=2140)、その絵はインドの蛇神ナーガラージャとまったく同じだ。ひたすら蛇である。

そしてひたすら淫乱だ。

この中でも最も野蛮で淫乱なのがインドのヒンズー教なのである。

まあ日本も対して変わらない。なにせ国歌である「君が代」が淫乱そのものだからだ。

「いわおとなりて」は「いわ(男性器)・ほと(女性器)・なる(性交)」を表すそう。

つまるところ、ヒンズー教があからさまなだけで、本質は同じである。

しかし、何故そんなにも「蛇」なのか。

その答えは簡単だ。

聖書で「蛇=悪魔」「龍=悪魔」とされているからだ。ただそこだけに理由がある。

国ごとに宗教は違うわけなのだが、「異教≒悪魔崇拝」なんていう概念では片付けられないほどには壮大に、そして巧妙に、悪魔崇拝の宗教の神々はつながっているのである。

上の画像は作者である松本大洋が描いたクロだ。

どうして“青色”なのか。

これもまたヒンズー教によるものだ。ヒンズー教の神は大抵、青い。

ちなみに、ヒンズー教の頂点の神であるブラフマンの同一神は仏教でいう梵天になる。

瀧山寺梵天立像:梵天とは古代インドの神ブラフマー(ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根本原理・ブラフマンを人格神として神格化したもの)が仏教に取り入れられたもので、仏教界では守護神である。梵はBRAHMANの音写。

軸にあるキリスト教

この「鉄コン筋クリート」という作品の軸はキリスト教にあるといって良い。

つぎに説明する、宝島町を乗っ取ろうとする「蛇」もまた悪人として描かれている。

これもまた聖書で悪魔は蛇だから。

「そのとき私は、底なしの穴のかぎと太い鎖とを手にした天使が、天から下って来るのを見ました。 彼は、悪魔とかサタンとか呼ばれている、あの古い蛇である竜をつかまえ、鎖で縛って、千年の間、 底なしの穴に閉じ込めてしまいました。こうして竜は、定められた千年が過ぎるまでは、世界の国々をだますことができなくなりました。しかし、その期間が終われば、しばらくの間だけ自由な活動が許されるのです。」ヨハネの黙示録‬ ‭20:1-3‬ ‭JCB‬‬ https://www.bible.com/83/rev.20.1-3.jcb

蛇という謎の男

蛇が属する組織とは

この蛇という男が、悪魔の権化のような人間であることは明らかだ。

そして「我々の存在を口で説明するのは難しい。」(37:40)とあるように、蛇はなんらかの組織に属している。

また、蛇はアニメの作品中に次のように語った。

46:40

蛇「警察を抱き込むこと、ヤクザと手を組むこと。大事なことですが、それだけでは町の性格は変わりません。わたしの町は変わらなければいけないのです。」

木村「わたしの町…?ってのは何なんだよ?」

蛇「理想というものの追求を許された存在は数少ない。」

木村「いったい、あんたら何の目的なんだよ。」

蛇「我々の行為は“あるお方”の導きに依るものです。誰だか分かりますか…?木村さん…」

その蛇の言う“あるお方”とは一体だれか…。それは蛇の属している組織を推測すれば容易にわかる。

上の図は宝町の地図だが、宝町は「目」の形をしている。

その下に貼ったシーンは、木村が蛇とはじめて出会ったシーンである。木村が通い慣れているであろうbarは、そこらじゅうに「目」の写真がある。

蛇はこのbarで木村に名刺を渡し、のちに蛇と木村は同盟を結ぶことになるのだが、木村と手を組んだのもこのbarに通っているからこそだ。

「目」はイルミナティーやフリーメイソンを表す。

このことから、蛇がイルミナティー の人間であることが遠回しに表現されていることが分かる。

作中で言われていることではないのだが、この限られた人しか知らなそうなbarに木村が通っている時点で、木村もまたイルミナティーの血筋を受け継いだような“特別”な人間なのだろう。

そして、これもまた妄想なんかじゃなく、現実に起こっていることである。

清和源氏

現に、日本においても古代から現時点まで、限られた人々だけが政治・経済界の実権を握っている。

日本においては「清和源氏」の血を受けつぐ者たちだ。

だがさらに遡れば彼らが「朝鮮半島」の人間であることが分かる。

2019年5月から元号は「令和」だが、この元号というのは645年の大化の改新から始まった制度であり、これが示しているのは即ち、彼ら朝鮮人が日本を実質支配しているということである。

「蛇」は外国人だが、なにもイルミナティーは外国人だけではないのだ。

ちなみに海外セレブは漏れなく全員イルミナティー である。

また、イルミナティーやフリーメイソンがどんな組織であるか分かりやすい図がある。

ふつうに勉強しているだけでは、こんなこと思いつきもしない。

しかし、教科書で学ぶよりも遥かに辻褄が合うことは間違いない。

自分で検索すればするほど、この事実に納得するはずだ。

また666は悪魔の数字だが、シロが警察に保護されるために連れていかれるシーンで警察の車には66と書かれている。

冒頭でも蛇が言ったように、蛇は警察も抱き込んだ。

おそらくそれを示唆しているのだろう。

蛇を導いている者とは

蛇によって「子供の城」という遊園地が宝町につくられた。

38:55

組長「今必要なのは新しいビジネス!新しい刺激!エンターテインメントぉ!そんれが来るべき波なのです。そすぃて、この新しい波ば乗るのにガキの財布以上に適した出発点はありましぇん!蛇さんとの仕事はわしにはどえりゃあ勉強になりました。カルチャーショックですわ!はっははあ!」

蛇「では本題に入りましょうか。大精神会さんが仕切っていらっしゃる宝町3丁目は良くいえば古風な趣の残っている区域です。三方もっとも急成長している地域に囲まれた手付かずの土地。そこで我々の出番となるわけです。既に他の地区でご覧頂いておりますように子供の城プロジェクトは3年前のスタート以来、天井知らずの利益をあげております。」

天井しらずの利益という蛇の誘い文句にまんまと乗った組長。

ディズニーランドやユーチューブもそうだが、刺激的なエンターテインメントはお金になる。

そして、上の図は遊園地の地面にあったマーク。

まんまイルミナティー なのだが、もうひとつ見るべきポイントがある。

六芒星ではなく八芒星になっている点だ。

六芒星=666=悪魔という図式が成り立つのはご存知の方も多いだろう。

しかし八芒星については深く知らない人がいると思う。

八芒星はときにムー大陸を示す。

かつ、五芒星と六芒星の統合をあらわす。

かつ、8=∞=無限をあらわしている。

https://twitter.com/041t2tgonefv/status/1096939194423828480?s=21

つまりNWO(世界統一政府)のようなものだ。

そして、NWOがイルミナティーの目的である。

イルミナティー NWOを目指してなにをする気だろうか。

やはりその真髄には“悪魔崇拝”があるとしか言いようがない。

イルミナティー は金に目の眩んだ、マキャベリズムでサディストでサイコパスな奴らなのだが、悪魔を崇拝すれば成功すると信じきっている。というより欲の塊なので、悪魔を拝もうが何しようが、欲が満たされればそれでいいのだ。

つまり、蛇のいう彼の方とはサタンの頭である「ルシファー」なのだろう。

聖書では、ルシファーは堕天使だとある。

堕落したのだ。

つまり神に敵対する者であり、とことん神とは逆のことをする。

そして同じことを人間にもさせる。

人間を堕落させることで神から離れさせたいのである。

イタチについて

イタチの正体

イタチは牛の頭を被った子供だ。

イタチはクロを襲ってくる殺戮マシーン(人間)をいとも簡単に殺した。

イタチはwikiにもあるように実際は目に見えない存在とされている。

つまり悪魔だ。

どんな悪魔かといえば牛頭天皇、即ちバアルだ。

日本の牛頭天皇は素戔嗚(スサノオ)と同一神であり、バアルと同一神であるとされている。

イタチはクロを守った。

それはなぜか。

イタチはクロにこう言った。

1:31:20「ここはお前の住む世界じゃない。もっと深くもっと高い次元がある。闇。闇を恐れてはいけない。すべてを超越する力。闇の力。」

つまり、人間の闇を恐れる本能に逆らえと言っているのだ。

悪魔は、こうやってクロに言い聞かせることで闇を大きくし、クロの闇の中に住み続けたいのである。

しかしクロの頭にはシロの声が聞こえてきた。

シロを思うことで闇に打ち勝ったのだった。

イタチは最後にこう言っていた。

イタチ「いいか、忘れるな。右手の傷を忘れるな。俺は決して消え去りはしない。いつでもお前の中に住む。お前を守る・・・。お前を救う・・・。」

どうして悪魔であるイタチが「守る」と言ったのか。

それは筆者の思想が「善悪の統合」にあるからではないだろうか。

善と悪をひとつにする思想

この漫画にはキリスト教的な思想が盛り込まれている。

しかし、一方で悪を神聖視しているようにも思う。

この世には「善と悪をひとつ」にしようとする人々がいる。

それはすなわち、神であるキリストと、堕落した悪魔の頭であるルシファーを、どちらも神として祀ろうとしているのだ。

これはカルト宗教の最大の特徴ともいえる。

ワールドメイトや生長の家、幸福の科学といったカルト宗教はまさにそれだ。

それらのカルトの源流は全て「大本教」という宗教なのだが、「万教帰一」の思想を持っている。

すなわち全ての宗教はすべて一つに帰するという意味だ。

人によっては「統合」して何が悪いのだと思う人もいるだろう。

しかし、それこそが諸悪の根源だと断言できる。

このように、「悪」は「善」に対してとても影響力が大きいものです。そして、悪魔たちはこのことを重々心得ています。

だから、悪魔たちは必死でこの世界を一つにしようとしているのです。

そうやって「善人」と「悪人」とを一つに束ねてしまえば、この世の中がもっと簡単に悪に染まる、ということを彼らは分かっているのです。

読者の皆さんの中には、私がNWO(世界統一政府)を嫌悪しているのを見て、どうしてNWOがそんなにいけないんだろう、世界が一つになるのはいいことではないか、と思っている方もいらっしゃるかも知れません。

しかし、どんなにきれいな心の持ち主でも、悪の中に混じれば、それだけで心が汚れてしまいます。

もとの純粋な人間ではなくなってしまっています。

一滴の墨汁が混じれば、純粋な水でなくなってしまうように、その人もまた元の純粋な人間ではなくなっています。

とはいえ、少し悪に染まっただけでは、その人の見た目はほとんど変わりがありません。ほとんど何の影響もなかったかのように見えます。

恐らくその人自身も、自分が悪に染まったという感覚はほとんどないと思います。

このように悪魔は、自分でも気付かないように、人の心を少しずつ少しずつ悪に染めていくのです。http://rapt-neo.com/?p=34250

鉄コン筋クリートもまた、「善悪の統合」の思想のもとで創作されたのだろう。

シロのこと

じっちゃ「シロはすげえな。こんな、ドブみてえな町で穢れなく生きてる。不思議な子だ。たぶん全ての答えをシロは持っとる。それが形になるにはもう少しかかるがなあ。警戒心とか悪知恵のない奴はもはやこの町には合わねえ。クロ、お前がいなきゃとうに死んどっただろう。」

じっちゃはシロのことをこうやって言っていた。

だが、シロは何も全くの善人という訳ではない。

残虐性が垣間みえる。

ただ、クロがいるから対照的にシロの良心が際立っているのだと思う。

でもやはり純粋だ。

そして、何よりシロは『良心に素直』だ。

シロ「人の事いっぱい傷つけたり、ウソついたりした時ね。シロ、神さまにいっぱい謝んのね。 ごめんなさい。ごめんなさい。もうしません。もうしません。 シロ、いっぱい謝んだけど、きっとダメだな。だって、もっといっぱい傷つけたりウソついてるしな。 きっと神さまは怒ってんな。じっちゃ。なーっ。」

シロは神様に悔い改めをする。

それはいつも、シロの良心がシロ自身に言い聞かせているからだ。

シロはその良心に従っている。

そして時おりシロは、思い出すかのように心の苦しみを感じている描写がある。

シロ「ねえクロ、夜って悲しい気持ちなのね。きっとあれだな。夜って、暗くて暗くて死んじゃうこと考えちゃうから悲しい気持ちなんだ。」

これはなにかシロが霊感のようなもので突如苦しみだすときがあるときではなく、それとはまた別のシロ自身が抱えている慢性的な心の苦しさだ。

なぜシロはそのような慢性的な心の苦しみを抱えているのだろうか。

それは良心を大事にしているからこそだと私は思う。

いつもシロは良心に、心に従って生きている《欲望に従順という意味ではない》。

だからこそ感受性が豊かで純粋だ。心で感じる小さな苦しみも、シロはしっかりと感じとるほどには純粋なのだ。

またイタチがクロに出会うとき、シロは今まで以上に叫び狂った。

イタチをあらわしているだろう牛頭の悪魔の絵を狂ったように描いたのだ。

(クロと離れたときでもシロはけろっとしていて、お絵かきを楽しんでいた⬆️)

まだ純粋なシロは悪魔が寄れば苦しんだ。

クロのこと

一方でクロはいつも先を見通すように世の中を視ていて、とても現実的だ。クロは、いかにこの町と人間が腐っているのかを分かっている。

クロは絶望している、というより諦めているかのようだ。そして何もかも頼っているシロとは正反対に、人に頼ることはない。シロのように心の苦しみは感じていたとしても見ないようにしているかもしれない。

また、爺さんはクロにこう言った。

アノ子はお前が考えてるよりずっと強い。そしてお前さんは自分で思ってるほどたくましくないぞ

きっと、シロを守ろうとする責任感とシロを思うその愛だけが、クロの支えであり、クロの良心であり、クロが生きる意味となっているのだ。

だからシロが居なくなってしまえば、クロを支えるものは何ひとつ無くなってしまうのだ。シロが警察に連れていかれたときクロは、もともとあった残虐性にブレーキが効かなくなり、さらに凶暴になった。さながら悪魔である。

だが、もしクロが子供ではなく大人という設定であったならばどうなっただろう。蛇のようになっただろうか。これに答えを出すのは難しい。クロが金に欲目をだし、人を人とも思わなくなるなら、蛇のようになってしまうかもしれない。

だがクロにはシロを愛するくらいの愛はあった。そこにクロの本質的なところが見えるのではないだろうか。

神様と、シロとクロの心のネジ。

シロ、いっぱいネジないの。心のネジ。失敗してんの、神様いーっぱい。それでね、クロね、クロもね、いっぱいネジないの。心のネジ。クロのないとこのネジ、シロが持ってた。

心のネジ。

それはつまり良心のことだろうか。

クロは良心をしっかりともっていなかった。

だが、シロを思い、シロを守ることだけが、クロの良心だったように思う。

そしてシロは見た目はよわよわしいが、良心をもち、その良心に従って強く生きていた。

でもシロは賢さが足りなかった。

だから現実的には強く生きられなかったが、クロがそれを補うようにして、助け合って生きていた。

聖書にはこのような聖句がある。

のように賢く、のように純真であれ。」

この作品には明らかにこの聖句に大きな意味が隠されている。

蛇も出てくるし、最後の場面では白い鳩がでてくる。

「クロは賢く、シロは純真だった。」

と、まとめたいところだがそうではない。

この作品の軸となる思想はやはり「善悪の統合」だ。

だから「クロは悪で、シロは善だ」とすれば、ネジが意味するのは「善悪のバランス」が人間には必要だ、となる。

しかし説明したように、悪の心はただ人を蝕むだけだ。

それも蝕むだけではなく、いつしか「悪」だったものが「善」に変わり、価値観が歪んでいく。

職場の人間関係が悪くなるのも、たった一人の悪人のせいで、周囲の人々の心に悪影響を及ぼす。

繁栄を極めた古代ローマも、モラルの崩壊によって滅びたと言われている。

「善悪のバランス」とはよく言えたものだ。

蛇のように賢くあるべきだが、悪人になったら、ただの悪人だ。

賢さも何もない。賢いだけの悪人とはつまりサイコパスではないだろうか。

また、別の視点で見てみる。

鉄コン筋クリートで《イタチのような神の振りをした悪魔ではない本物の》神の姿は描かれていないから、シロの良心が神なのだ、と思う人もいるかもしれないが、それは違う。

なぜならシロの良心はシロの自身を救いきれていないからだ。

自分も救えていないのにどうしてシロの良心が神だと言えるだろうか。

シロの良心がクロを深い闇の中から救い出して繋ぎとめたことは確かだ。

しかしシロはクロに『安心、安心。』と言い聞かせられていたから、心の苦しさを一時的に忘れることができたのであって、シロの良心はシロ自身のことは救えていない。

シロを心の苦しみから救うことができるのは誰か。

それは人間でもなければ悪魔でもない、人間を創造した神しかいない。

神は愛だと聖書にある。

その唯一の救いである愛すらも世の文化と思想で歪められているのが現実ではあるのだが、聖書はただ神の愛を伝えているだけなのだ。

そして善と悪を裂いて、神の愛で生きるようにと教えている。

善悪の統合を目指す思想はすべて、悪魔に帰依する人々によるものだということだけは知ってほしいものである。

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  1. ピンバック: スピリチュアルの嘘①!日本のスピリチュアルブームの裏側とは。 – chanme.org

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